新年二日目の朝。
みなさんいかがお過ごしでしょうか
年は、あけてしまえばまた
あっという間に一年駆け巡る・・・
三浦太鼓店は4日から通常営業いたします!
それまで心穏やかに頭の中を整理整頓。
さて、昨年 末ようやく完成しました
われわれ和太鼓零結成10周年記念公演映像。
今回のテーマ“新生”に込めた思いは
これからの和太鼓の世界に向けた私たちなりの
大切な大切なメッセージです
今、和太鼓の世界には大きく分けて
2つの柱が存在します。
それは、
“伝統”と“創作”
伝統とは、神社仏閣での神事や祭礼
地元のお祭りなんかもそうですね〜
数十年前まで和太鼓の世界には
この“伝統”と呼ばれる世界しかありませんでした。
そこから新たな時代にうまれた“創作”
和太鼓の可能性を大きく広げ
今や世界中に愛好家がいます。
この2つの世界。
同じ和太鼓を使っていながら、
実は全く違う世界です。
では、一体なにが違うのでしょうか???
それは演奏者の届ける“視点”です。
伝統という世界にいきる人たちは、
和太鼓の演奏そのものが、
と言うより、
和太鼓の“音”そのものがメッセージです。
メッセージというのは会話と同じ。
言葉と同じコミュニケーションの音です。
言葉を和太鼓の音に変えただけなので
単純にそのメッセージは伝わるし、届きます。
何不自由のない現代に生きる私たちにとって
感じ取ることは非常に難しいですが、
昔の人たちは、神様へのメッセージだったり
“人と人”とのつながりが“生きること”と直結していたんだと思います。
だからそこにあるのは伝えたい!という
“本気の願い”です。
これが伝統の世界にある
和太鼓の“音”なんです。
伝統の世界に宿る音。
一方現代の創作和太鼓は、
舞台やステージから観客に向けたメッセージです。
では、そのメッセージとは
どういうメッセージでしょうか・・・
実は、私たち零もその答えが、ずっとずっとわからなかったんです。
何を届けたいのかすらわからないまま
この10年ただただガムシャラに演奏してきました。
そこにある種の違和感を私は
ずっとずっと抱えてたんです。
そんな私の違和感から、大切な大切な答えを
教えてくれたのがこの、“伝統”の世界に宿る音でした。
創作和太鼓というのは、残念ながら多くの演奏者は
“和太鼓”という楽器を使ったエンターテイメントやパフォーマンス。
もちろん、エンターテイメントやパフォーマンスも含め
発信できる和太鼓というのは素晴らしい楽器です。
だからここまで新しい世界が広がりました。
だけど、エンターテイメントやパフォーマンスだけというのは
いずれ“限界”が来るんです。
理由は簡単です。
目の前にある和太鼓という楽器は、
“音”をメッセージとして届ける楽器です。
先にも言いましたがその音は、
言葉と同じ魂を宿しています。
でも演奏する人がそのことをきちんと理解して
太鼓の前に立つことができなければ、
その音に“魂”を宿すことはできないのです。
伝わっていますでしょうか?
単なるエンターテイメントやパフォーマンスの道具でよければ
究極、和太鼓でなくても良いという事です。
創作と言われる世界は、どうしても
大切な視点が→“自分自身”の自己満足になって
しまう可能性がおおいにあります。
実際私たち零もずっとそうでした。
だから目の前にあるのは和太鼓であるにも
関わらず、その音と自分がつながらない。
“太鼓”と“自分”がつながっていないので
もちろんその音は聞いている人につながるはずがないんです。
本来、大きな大きな魂を宿す太鼓の音エネルギーが
最大100使えるとしたら、
伝統の世界に生きる人たちは最大値100を
確実に使うことができます。
一方、創作の多くの演奏者は“1”です。
1というのは自分のエネルギーではありません。
目の前にある太鼓が持ってくれている“1”です。
残りの“99”を使えるかどうかは
あなた次第ということです。
10年たって、私たち零は
その大切なことにようやく気づき、
向き合うことができるようになりました。
そして、私たちが出した答えをカタチにし
届けたライブ最初の演目です。
“現代”にうまれた新しい可能性が
本当の意味で新たな時代の“伝統”となるには、
“伝統”とは何なのかという
和太鼓の本質と向き合うことが絶対に必要です
もしかしたら、こうした事が伝えられるのも
私たちの役割なのかもしれません。
命を 宿す太鼓の“音”
その“音”はメッセージ
そしてすべてはつながっているんです。
特別出演:三浦太鼓店五代目三浦彌市
演奏:和太鼓零〜zero〜 作曲:古立ケンジ
零ライブDVD好評発売中!