2016年9月1日木曜日

永遠の命があるかのように夢を抱き、明日死ぬかのように生きる。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/



数日前から、手足の関節あたりと

お腹にじんましんのようなできものが~( ;∀;)


とにかくかゆいのです~泣


夏の疲れがどっと出てきたのでしょうか、、、



いよいよ9月。


残暑も厳しいですが、

季節の変わり目ですからみなさんも

体調お気をつけくださいませ~



さて、すっかりご無沙汰になっておりました

ブログですが、


実はつい先日、

大正15年生まれの母方のおじいちゃんが

90歳で他界しました。


親族の別れは、

同じく母方のひいおばあちゃん、

太鼓屋のおじいちゃんに次いで3人目ですが


いずれも子供のころだったので

記憶はなんとなくしか覚えておらず


大人になってから、まざまざと

人の死に向き合うと不思議なモノです。



お経を読んでくださったお坊さんが

お話しくださいましたが、


人の死を目の当たりにして残された人たちは、

今一度、生きることを考えるキッカケにしなさいと、、、



確かにそうです。


お坊さんにそう言われずとも、

考えずにはいられないです。



おじいちゃんは、11人兄弟の末っ子で

一宮出身です。


仕事は、「東温泉」という街の銭湯を営んでいました。




お風呂は、地元の材木所から出た

おがくずで風呂を沸していて、


また昔ながらの番台もある

そんな銭湯でした。




残念ながら、今はこの銭湯はないですが、

私が20歳になるころまではありましたので



ちっちゃい頃から

みんなで大きなお風呂に入って

育った記憶が鮮明によみがえってきます。



おじいちゃんは、私の母を含めて

3人の子供がありました。


そして、その3人の子供は

それぞれ子供を授かり、孫が10人になりました。


そして、その孫たちが

それぞれ子供を授かり、ひ孫が19人になりました。


90年の人生で、自分の血を引く子供たちが

総勢32人になったことになります。



逆を言えば、

このおじいちゃんとおばあちゃんがいなければ


今の私はいないという事です。


人の死を目の当たりにして、

生きるを考える。


言われることは分かっても、

考えても考えても、当然答えなんて

誰にも分からないわけで、、、



生きるという事は、本当に不思議なモノです。



ただ一つだけ言えるとしたら、


考えても分からないことをあまり

深く考えすぎて、日々苦しみながら生きるより


朝陽に感謝して目を覚まし、

1日心豊かに過ごしてまた明日を迎える。


そうあり続けたいと願いますね。



ある程度分かっていたとはいえ、

親戚中がバタバタする中、


最初から、最後まで毅然とした

おばあちゃんの態度にもまた、

いろいろと考えさせられるものがありました。



永遠の命があるかのように夢を抱き、

明日死ぬかのように生きる。



今日という日に感謝します。

おじいちゃんありがとう。