2017年6月29日木曜日

人生は、超長距離走

こんにちは、六代目彌市です。

ここ数日、
実は少しバタバタしてまして、、、

実は、先日結婚式を終えたばかりの
妹が式直後から突然体調を崩し、、、

1週間ほど会社を休んでいたんですが
悪くなる一方で、、、

とうとう先週から入院してしまいました。

入院して少し安心、
落ち着くかと思いきや、、、

むしろその後悪くなる一方で、、、

当然、楽しみにしていた
新婚旅行もキャンセル。

体調が悪いということで
ただでさえ苦しい中、

肉体的にも精神的にも
限界にきているようです。

少し心配しています。

妹はとてもとても“がんばり屋”


それ自体はすばらしい事なのですが、
今回はその“がんばり屋”というのが
裏目に出てしまったように感じています。


だから病気になって、
身動き取れない状態でも

家の事、
教室の事、
旦那さんの事、
仕事の事、、、

ありとあらゆることが
心配で心配で仕方ないので

前向きな治療になってない、、、

そう感じます。


私も、同じような性格の持ち主だから
余計によく分かるんです。


“がんばる”こと。

がんばること自体は
悪い事ではないと思ってます。


でも、頑張りすぎてしまって
力尽きてしまっては何の意味もないのかもしれないですね。


そう言えば、
私の桶作りの師匠が
いつも言ってた言葉がありました。




一刻も早く桶作りができるようになりたい、、、、

限られた時間の中で、
当然私は一生懸命がんばって仕事を覚えようとする、、、

すると、

兄ちゃん、そんなにがんばるな!

そんなにがんちゃ~いかん。

まぁお茶でも飲みなさい、、、

と、

私ががんばれば頑張ろうとするほど

一服させようとするんです。


その時は、
師匠はなんでそんな事言うのかな?

申し訳ないけど
私には時間がないのでがんばりたいの!

そう思ってました。


でも、最近になって
ようやくこの時の師匠の言葉の
本当の意味が分かってきた気がするんです。


「人生は超長距離走」


みなさん、
フルマラソン走られたことありますか?

私、去年人生で初めてフルマラソンに
チャレンジしたんです。




体力にも自信ありました。

気力や活力もあったので
初のフルマラソンとは言えど

完走はもちろんのこと
クリアタイムもかなり高く設定してました。

いざスタートする。

10キロ地点、快適。

予想通り行ける!

15キロ地点、折り返し地点。

ここで一旦来た道を折り返す。

すると、
私達の集団のかなりずっと後ろの方に

それはそれは、歩いてるの??

走ってるのか歩いてるのか
分からないくらいの

のんびりペースで走る
おじいちゃん、おばあちゃん集団がいたんです。




正直、えっ!!!

って思いました。


この人たちはきっと
完走することが目的じゃなくて

行けるところまで
行くことが目的なんだろうな~

そんな風に思って
すれ違っていきました。

その時は
この先訪れる驚きをまだ知らず、、、


20キロ地点
いよいよハーフ。


まだまだ私も元気!
快調!

これなら目標タイム
行ける!

ペースは速いのですが
それでもまだまだ大丈夫

そんな私がおかしくなり始めたのは
25キロ地点を過ぎてから、、、

それは突然訪れました。

動かない。

身体が突然
まったく動かなくなりました。

そして、周りを見渡すと
私と同じように

前半快調に飛ばしていた
若い集団が、力尽きてみんな歩いてる、、、、


35キロ地点。

ここからゴールまでの
7キロは生涯忘れることのできない7キロになりました。

なぜだか涙が止まらない。

苦しいのか

悔しいのか

情けないのか

辞めたいのか

逃げ出したいのか

わからない。。。

それでも、
歩くことだけは絶対嫌だ。

でもこの時歩いてる人に抜かれるほどの
スピードまで落ちてました(笑)


すると、
後ろの方から何やら
軽快なスピードで迫ってくる集団が!


ん!?

ん!?!?!?!

まさか、、、


そう、
そのまさかだったのです。


15キロ地点で
はるか彼方わたしの後方を
歩くようなスピードで走っていた

おじいちゃん、おばあちゃん集団が
私の横を軽快なスピードで抜き去って行ったんです。

これは本当に衝撃的な出来事でした。




「人生は、超長距離走」

意味なく全力を出していると
必ず途中で倒れて走りきれなくなってしまう。

力つきるまで動くことに
なんの意味もない

全力、一生懸命というのは
その時一瞬の出来事なら可能ですが

それを継続し続ける事は
やっぱりできないのです。


がんばらない。


師匠の言葉とフルマラソンの経験が
これから続く長い人生の生き方を

私に教えてくれた、、、、


そんな気がしています。


妹のことでは、
いろんな方にご心配おかけし
これから先まだまだご迷惑かけてしまうこと
たくさんあると思います。

当然わたしたちでやれることを
考えて行動していきたいと思っております

健康な身体あっての
豊かな人生。

みなさんも
がんばり過ぎない

そんな日々をお送りください。

今日もステキな一日を(^_-)-☆

2017年6月25日日曜日

書き残すことが生きた証となる。

こんにちは、六代目彌市です

まおちゃんのブログ、
多くの方々が見ていたように
私もいつも見てました。

どんな心境で
あの言葉が綴られていたのかは
私達なんかじゃ想像もつきませんが、

ただ一つ
分かることは、

まおちゃんにとって
「書く」という行為そのものを通して

自分が生きた「証し」を
残そうと思ったのだと思います。


私自信、

いつもこうしてブログを書いてますが


やはり一つの目的として
「後世に残すコト」を意識して書いてます


ではなぜ残すことは大事なのでしょうか?


こんな話を聞いたことがあります。


「国宝」と認められる建造物は
必ずその建物だけじゃなくて、

その建物が実際に
その当時に建てられたという確かな「証し」が
必要なのだそうです。


建物自体が現存していたとしても
そこに確かな証しが必要だという事です。


なるほどな~


これ私にはとてもよく分かるんです。


この写真みてください↓



これは、唯一残っている
初代の写真です。

そして、この写真と共に
初代は150年後の私たちに

確かに生きた証しを残してくれているんです↓




三河の國 岡崎横町
現在の本町にあたる場所に店があり

初代の名は三浦彌市であったこと、


そして「吉長」という屋号を持っていたこと


最後に花押(初代のサイン)を持っていたこと


書き残すということは、
自分の存在を後世に
伝え続け認めてもらうことに繋がるんですね。


そして、

残されたその記録から
私達はいろんなメッセージを受け取るわけです。


そうそう、

先日秋田の五十嵐さんからも
大切な大切な五十嵐さんが生きた証しを私は
いただいてしまいました。




桶樽寸法帳と書かれた古びたノートには、


桶作りの工程が上手なイラスト共に
分かりやすく書き残されていました。



このノートは、

何か困った時に開けば
必ず私を助けてくれる一冊です。


五十嵐さん自身はこれを
後世に残すために書いていたわけじゃないのかもしれない。


残そう、
伝えようと思ってないモノの方が

メッセージとしては
強く伝わってくる、、、、


そんな事もやっぱりあるよな~とか、、、、

いろんなこと
考えながら

私自身何が残せられるのか

今から真剣に考えてます(^^)


さて、

今日は日曜日ですが

私はお仕事です(^^)/

4尺5寸の大桶と一人格闘しながら、

間の時間でまたコソコソと
悪だくみをして遊びで何か作ってます(笑)


今日もステキな一日を(^_-)-☆










2017年6月24日土曜日

手のひらサイズのミニ桶ちゃん!

こんにちは、六代目彌市です。

昨日は日本中が泣いた日。

私も泣きました。

どれだけいろんな事を
深く考えても誰にもその答えなんて
分からない、、、、

それが人の人生です。

自分の生きる年数は
いくら自分であっても決められない。

それでも、
生き方だけは自分で決められる。

私は、私のできることを
改めて精一杯。

言葉で伝えて
言葉を残すことの大切さを
あらためて実感しています。


さて、秋田での修行の話

まだまだみなさんに
それこそ伝えていきたい事

たくさんあるんです!


私が、五十嵐さん宅に
滞在中に愛用していたグラスがあるんですが

通常の桶作りだけじゃなくて
伝統工芸士として、工芸品づくりも

積極的にされていた
五十嵐さんの作品です↓



最高級の秋田杉で作られ、

飲み口に口をあてると
不思議なほどすーーっと口になじむ。


これこそ、
人の手作りがなせる業です。

まさに伝統工芸士!





小さい桶を作るって、

実は、

大きな桶を作るのと同じくらい難しいのです。


というか、

それぞれ全く違う技が必要なのです。


道具だって、小さいものが必要だし

何より、本当に繊細で
感覚を研ぎ澄ませた手先の技が必要なのです!


実は、そんな小さな桶を作るための
道具や材料を

今回、五十嵐さんから
いつか三浦さんならできるようになるから!


そう言って
すべてもらってきたんですね( ;∀;)




小さくたって、

正真正銘、すべて本物。

最高級の秋田杉。


そして、それを作るための道具







道具もある。

材料もある。


あと、ないのは
私の「決断」だけ( ;∀;)


なんだかふと!
昨日はそんな「スイッチ」が入る。


よし!やっタルで~(^^)/




作業をはじめてみるものの、、、

すべてのサイズが
あまりに小さいので

いったい何を作ってるのか見えてこない(笑)

それでも、
小さくたって工程は、ほぼ同じなので

とにかくやってみる!




お!

なんとかカタチが見えてきた( ;∀;)




これなら
本当にいけるかも!

そんなワクワクそわそわしながら
作業は続行!


表面を仕上げていくカンナも
小さくって手のひらサイズ(^^)





こう見えても私の自慢は
手と足がデカイこと(笑)

よって、

こういう細かな作業には
たぶん向いてない(笑)

一番難しいのは
竹を極限まで細~く割いていく作業↓




これ、自分でやってみて
驚いたんですが、

ビックリするくらい
上手く竹が割けていくんです。


ブログ見てくださっている
方ならご存知かもしれませんが、


つい数か月前まで、
私はこの竹さんにことごとく
悩まされてきましたから( ;∀;)


これほどまでに
すんなりと竹を操れる自分になってる!

そんな成長を
自分で感じられた驚きの瞬間だったのです!

これはもしかして
本当にいけるかも!

ドキドキはとまらない(笑)

ただひたすら
ミニちゃんと向き合う( ;∀;)




そして、ついに!


ついに!


ついにーーーー!




↓↓↓↓




手のひらサイズのミニ桶ちゃん!

できちゃいました( ;∀;)



これが、どんなに
難しくてすごい事か

だれも分かってくれなくていいんです(笑)


ただただ、
そんな大切な道具と成長するチャンスを
私に与えてくださった五十嵐さんに

これまた感謝感謝(涙)





この記念すべき第一号の
ミニ桶ちゃんはキレイにかわいく塗装して

五十嵐さんの奥さんに
送ることにしよう!

製品のクオリティとしては
まだまだ全然低い⤵


それでも、またあらたな道が開けそう!


さて、
ミニ桶ちゃんで心癒されたので

今日は打って変わって
4尺5寸の大桶くんを作ることにしよう!

今日もステキな一日を(^_-)-☆







2017年6月21日水曜日

イノチの鼓動。誕生とは?

こんにちは、六代目彌市です(^^)

ここまで半年かけて
本当に驚くほどたくさんの人たちの
チカラをお借りして

ここに、八丁味噌仕込み桶大太鼓が
あらたな産声をあげました。




あらためてこの大太鼓の
どこまでも響き渡る深い余韻にひたりながら

今回のプロジェクトをね
振り返ってみると、、、


この世の中にあるもの全て
勝手に生まれるイノチは何一つない。


そう思ったんです。

今ここにいる自分だってそう。
たくさんの祖先がいて、
そのつながりの先に自分がある。


この太鼓も、そうやって
たくさんの人々のつながりの先に
ようやく生まれたイノチ“音”


だから、この生まれた音は
イノチそのもの“鼓動”なんです。


人間は、いつしか
そういう大切なことを忘れてしまう。


今、ここにある自分は
自分のチカラだけで勝手に存在してる

そんな風に勘違いしてしまう。


そんな人はこの世に一人もいないのです。


たくさんの“つながり”と

たくさんの想い「愛」の先に
私は存在しているのです。

それが、イノチの鼓動。