2015年2月27日金曜日

デザインとは時代を創造するエネルギー。“今日の太鼓からvol.31”

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


最近ブログでまったく日常作業、
太鼓作りの事書いてないことに気づく(笑)


ご心配なく、これでも毎日太鼓作りしております(苦笑)


いろんな感情が湧きあがり伝えずにいられないほど
胸が熱くなってしまう癖(?_?)

そんなブログでも最近多くの人が見てくださっていることに
感謝感謝です。


久しぶりに今日は太鼓紹介しようかな^^;


“今日の太鼓からvol.31”

今日は、トライバルラインとゴールドギミックで
皮とたがをコーディネートしたカスタム桶太鼓ご紹介します(^^)/

“今日の太鼓からvol.31”




お陰様で、これまで数多くのデザイン桶太鼓を
製作させていただいてきました。


そして、これまた一つとして同じカタチ
デザインのものがないんです。


だって、それぞれお客様によって要望や、想い
こだわり、願いが違うから。


本来太鼓にこのようなデザインを
入れるなんてことまったく考えられない世界でした。


そんな中、私が最初に考案したのが、
“舞鼓”という女性専用の桶太鼓を開発したのがキッカケでした(^^)

女性専用の桶太鼓“舞鼓”



この舞鼓は和紙とラメを使って
華やかに太鼓を装飾しています。


当時ネイルアートが走り出した時代。


ああ、女性って立体的で華やかなデザインを好むんだな~


そして、和太鼓の世界で言うと
現代、女性の演奏者というのはとても多いんです。


でも、女性であっても太鼓の前に立つと

“おりゃーーーー!”


とただただ、力強くなってしまう(笑)



私は、男の立場から
女の人には女の人にしかできない

美しさ、華やかさ、しなやかさ・・・


そういう表現があるのにどうして???


っていう疑問がふと湧いたんです。



その時思った。


ああ!


女性らしさが表現できる“太鼓”がないんだ・・・と。



だったら、そういう太鼓を作ろう!

そう思ってこの太鼓をデザインしました。



私が言う“デザイン”というのは
単に、見た目を華やかにきれいに装うことではありません。


この太鼓は見た目はもちろん、

どのように使えるようにしたら
女性らしさが表現できるだろうか?


使い方、表現、演出をむしろ
徹底的にこだわりました。


だからこのカタチなんです。



最近特に強く感じることは、
“デザイン”というのは単に見た目を華やかに、
綺麗に、繊細にするという事だけではないですね。


“デザインとは時代を創造するエネルギー”


私はそう感じています。


そういう考えで言えば、何もカタチあるものだけを
“デザイン”とは呼ばないと思います。


現に、あのAKB48は
2010年のグッドデザイン賞アワードの金賞に輝いている。


アイドルがエンターテイメントがデザイン賞?


普通の人が考えれば理解できないかもしれないが、
まさに、AKBは時代を創造している。


それが正しいとか間違っているということではなくて、
時代を創造するエネルギーがきちんとカタチになり

評価されている事は“事実”だ。



私たちの仕事は“伝統”。


伝統とは、やはり大切に守る部分が
多い事も確か。


でも、それだけに固着してしまうと
時代に取り残されてしまう。


伝統は変わらないが、時代は変わっていくのだ。



その時代を創造するエネルギーこそ“デザイン”というチカラ。



いつの時代も先駆者たちは、その時代を創造し
革新してきたんだと思います。


行く先、それが認められ研ぎ澄まされ
現代に残っているモノが“伝統”となっているのでしょうか。


“創造”という歩みをとめてしまったら・・・


時代のニーズは“守る”ことから“創造”することへ
変化している。


新しい太鼓を作りながら
そんな事を感じました。



さて、今日も何かワクワクする
楽しいこと考えよう(^^)/









2015年2月24日火曜日

やっぱり乗り越えられない試練はたくさんある。

こんにちは、六代目彌市です。


“神は乗り越えられない試練は与えない”


と、よく耳にします。



私はそうは思わない。



やっぱり乗り越えられない試練はたくさんある。




今朝、若い命が絶たれた
悲惨なニュースを耳にしてとても胸が締めつけられました。




目の前にある壁があまりに壮絶で高く、その先すら見えない
ものを目の当たりにしたとき、


あなたは、ヨシ!いける!


そう思うでしょうか・・・・



誰しも、その高さと先の見えない道のりに
ただただ“不安”や“恐怖”を感じるのではないでしょうか。


そして、その不安や恐怖に押しつぶされ
自ら命を絶ってしまう。

そんな悲しい出来事が現実に起こっています。


まだまだ35歳の若造ですが


多かれ少なかれ、私も
短い人生の中で、どん底と思える瞬間がありました。


振り返ると、ただただ不安と恐怖から
言葉にすることもできず、一人うずくまっていた気がします。


じゃあどうして
私はその不安と恐怖の中、その高い壁を登ることができたのか。


それは、“人のチカラ”を借りたから。



“神は乗り越えられない試練は与えない”



これは、決して一人で越えなければならないと
言っているのではない気がします。


一人、“孤独”だったら

きっとそんな壁だれも超える事なんかできない。



たった一人、


たった一人でいい。


心の声を聴いてくれる人がいるかいないか。



そこが大きな分かれ道になる。


そんな気がします。




人生なんて乗り越えられない壁の連続です。


ただ、その与えられた壁は
一人で越えなければならない為にあるのではなく


助けあい、支えあい生きる。


短い人生が不幸なのか、

貧乏だから不幸なのか、

今日眠れる家がないから不幸なのか・・・



人は孤独に耐えられなったとき、
自分の中の悪魔が目覚めてしまうのかな。



どんな人も孤独では絶対ないと信じたいですね。



2015年2月23日月曜日

価値観なんて違って当然。そこに“愛”があるのかい?

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


昨日は子供より早く寝、
ひさしぶりに爆睡しました(笑)

演奏で左肩を痛め、
首を曲げると痛い痛い・・・

もう少し休養が必要かな(苦笑)


さて、最近facebookなんかで
よくたくさんの人が共感や感動した動画が
掲載されたりしてますよね~



その中に、WE ARE THE WORLDがありました。



1985年に発売され、作詞作曲はマイケルジャクソン、
ライオネルリッチー。



アフリカの飢餓と貧困を解放するために
作られたと言われる世界的に大ヒットした有名な歌。



私も子供の頃から何度も耳にし
もちろん知っていましたが、
久しぶりにその映像をみて改めて感動しました。


きっと、今自分が表現したい世界観と
どこかつながる部分を感じたから余計に共鳴したんだとおもいます。


名だたる有名なアーティストが参加した
このプロジェクト。


私は、この歌の本当のすごさは
ただ、有名なアーティストが集まって作った・・・


という単純なことではないと感じています。



国籍も人種も、生まれた土地や文化も違う
さまざまな人が、たった一つの願いを込めてつながっている世界。



人間なんて、親兄弟、双子だって
価値観や生き様は違う。


最近日本の芸能界なんかで
よく“価値観の相違”です


みたいな言葉で離婚をする
記者会見なんかを見ていて

それはただの言い訳だろと


と強く感じる。


だって、先にも言いましたが
価値観なんてものは、

もともと親兄弟、恋人、双子だって
絶対違う。


自分じゃないんだから
違って当然。


きっと、価値観の相違というのを
言い訳で

本当は“愛”がなくなったと言っているんでしょうね。


“愛”


まさにこの“WE ARE THE WORLD”がつなげたのは
世界へ向けた“愛の結晶”



ケンカしたって、ぶつかり合ったって

価値観が違っても、そこに大きな“愛”が



あれば、離婚もしなければ
戦争だって殺し合いだって起きない気がする。



最初はきっとほんとうに些細な事が原因なんだから。




日本語の歌詞を読んで
あらためてこの歌の意味を深く知りました。


目的はアフリカの飢餓だったのかもしれないが、

世界の平和家族の平和、人々の平和を
願った“愛の結晶ソング”だ。




“WE ARE THE WORLD”歌詞


今こそあの声に耳を傾けるんだ

今こそ世界が一丸となる時だ

人々が死んでゆくいのちのために手を貸す時がきたんだ

それはあらゆるものの中で最大の贈り物

これ以上知らん振りを続けるわけにはいかない

誰かが、どこかで変化を起こさなければ

僕らはすべて神のもと、大きな家族の一員なんだ

本当さすべての人に必要なのは愛なんだ


僕らは仲間、僕らは神の子供たち

明るい明日を作るのは僕らの仕事

さあ今こそ始めよう選ぶのは君だ

それは自らのいのちを救うことなんだ

本当さ、住みよい世界を作るのさ君と僕で・・・

心が届けば支えになってあげられるそうすれば

彼らも力強さと自由を手に入れるだろう

神が石をパンに変えて示してくれたように

僕らもみんなで救いの手をさしのべるべきなんだ


見放されてしまったら、何の希望もなくなるものさ

負けたりしないと信ずることが大切なんだ

変化は必ず起こると確信しよう

僕らがひとつになって立ちあがればいいんだ







2015年2月22日日曜日

その“軌跡”が“奇跡”を呼び起こす。

こんにちは、六代目彌市(^^)/


昨日は地元岡崎が誇る800年の奇祭
瀧山寺鬼祭り。



その800年の歴史の中で、
今回はじめて太鼓の奉納演奏をさせていただくという

ご縁、お導きをいただきました。


私にとってこのお話は降って湧いたようなお話。


当初は本当に実現するのかどうかすら
分からぬまま、ただ時を過ごしていました。


どうして、今、現代の私が
その場に立ち奉納する意味があるのか・・・


奉納演奏が決まった時訪れた
雪深い真冬の比叡山での寒行。


その事を必死に感じようとしていました。

比叡山 にない堂前



すぐに答えなど見つからない。


一つ一つの段取り、準備だけは怠らぬようにと
私のできる一つ一つの事をきちんと
向き合ってみる事から、今回の奉納演奏はスタートしました。


鬼祭りは火祭り。


地元の方々に無理をお願いし、
その松明で作る竹をわけていただき


当日奉納演奏で使う竹バチを作りました。


そして、出会った一本のバチ。


決して形の良い竹ではなかったけれど
これを見た瞬間にビビビッ!ときました(笑)


右へ左へ曲がりながらも天に向かって
ただひたすらまっすぐに伸びようとする竹。


私はこの竹の姿が自分自身であり
私達人間の想いと重なりました。



人の人生紆余曲折。


右へ左へよじれながらも、
ひとつの想いへ向かってまっすぐ生きる


そして人にも竹にも“節目”がある。



こうした“軌跡”となる“点”を
ひとつづつ重ねていく作業を続けてきました。


今回のご縁をいただき、無事お役目を
終えた私が一番感じたこと


それは、


ものごとの“軌跡”が“奇跡”を呼び起こすという事。


“奇跡”とは偶然の産物のように天から降ってくる
ものではなく、積み重ねられた足跡。



そんな体験をさせていただけた事こそ
私にとっての“奇跡”です。





本堂前奉納演奏に与えられた時間は30分。

その話を聞いたとき30分1曲
という演目をやろうと思いました。


それが軌跡を重ねた私の出した
瀧山寺鬼祭りに対する答えでした。


800年もの軌跡を重ねられた
瀧山寺のみなさんに比べたら
私なんぞ足元にも及ばずチリのような存在ですが

そのチリになれたことこそ
感謝ですね。


25分の奉納演奏
ご覧くださいませ(^^)/
















これが瀧山寺鬼祭り。



2015年2月21日土曜日

これが本当の表現者。私の感じるアーティスト論

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


現代の世の中は、さまざまな表現やアート

またアーティストと呼ばれる方々が見えますね!



アーティストという言葉は今では音楽家という概念を超え
いろんな世界を表現する人たちにも使われる言葉です。



じゃあ、いったいこのアーティストとは日本語にすると
“表現者”という言葉になりますがこの表現者って
いったいどういう事だろうとふと感じたので

今日はその私の感じる表現者(アーティスト)論を
お話ししたいと思います。


人は、生まれたときは実はみんな“たまご”なんじゃ
ないのかなっておもっています(笑)

人類みなたまご。

生まれたーーー!


と思っているのは自分だけ。


実は“殻”という安全で安心な壁で
守られた状態です。



だから自分では一生懸命“オギャー!!”と
叫んでいるつもりでも周りの人には一切聞こえていません。


伝わっていますでしょうか??


ほとんどの人はこの状態。


分かりやすい言葉で言い変えてしまうと
この状態の人を業界の用語で“素人”と呼んでいるのでしょうか。


では、素人から表現者になるためには
どうすればよいのか!?


それは、自分の殻を自分自身の“チカラ”で破る事です。


自分のチカラで殻をやぶる。


大切なことは自分自身の“チカラ”でやぶるという事。


それまでは、もちろん周りの人や
たくさんの人たちの大きなチカラを借りていますが

最終最後は自分自身のチカラでその殻をやぶらなければならないのです。



この殻を破れた時、はじめて
自分の声で“オギャー!!”と叫び、伝え届ける事ができるんです!



オギャーと言うのは自分自身の“言葉”です。


言葉というのは“魂”であり、“メッセージ”。



そのメッセージがつながり、きちんと“伝わる”から
ひとは心が動く。


これを“感動”といます。




そして、自分自身の言葉を伝えられる人の事を
私は“表現者”というのではないかと思っています。



表現者というのは、辞意分自身の想いを
きちんと言葉にして伝えられる人の事。


ありがとう。ごめんね。

うれしいよ。

さみしい、悲しいよ・・・



自分以外の他人に何かを伝えるという事は
とても難しい事ですね。


親でも、兄弟でも、夫婦でも、恋人同士でも、親友でも
自分自身の子供であっても・・・


自分の想いをきちんと伝え届ける為には
自分自身がまず“素直”であること


そして、自分の殻を自分で破り
自分自身の言葉を持つこと。


これが、私の感じる表現者(アーティスト)論です。


人のチカラにずっと甘え頼っていては
きっと殻が破れたときは、時すでに遅し・・・・


茹で上がってしまっています(苦笑)





自分の言葉で、自分の心で
人にメッセージが届いたとき、

人に大きな感動を与えられるのだと思っています。



そういう意味では、“素人”とか“玄人”とか
関係なく、人類みな表現者なのではないでしょうか^^;


さあ今日も自分の言葉で、
その想いを伝えよう!!













2015年2月18日水曜日

“守り、創造する”これこそ企業が永続するために必要なこと。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


先日公表させていただきましたが、
愛知ブランド企業認定をいただき

昨日その認定式へ愛知県庁まで行ってきました(^^)

愛知ブランド企業認定式


愛知県庁の講堂に入るのははじめての経験!

新しい建物ではないですが、重みのある部屋に
大村県知事からいただく認定書は大変感慨深いものがありました。



そして、何より驚いたのが認定番号(笑)



認定番号 1015


私たちは太鼓屋なので、よくごろ合わせの数字で
1015を“たいこ”と呼ばせて事あるごとに使ってました(^^)


三浦太鼓店のハイエースのナンバープレートも1015なんです(^^)/



これはこちらがお願いした数字でもなんでもなく
たまたま、偶然が偶然を呼びこのようなめぐりあわせになりました(笑)


これも奇跡ですね!

大村県知事と五代目親父



認定書をいただきあらためて想いました。



この賞をいただけたのは、過去の自分たちにの
取り組みや実績に対してだと。


どんなに良い商品やサービス、企業や実績があっても
時代は常に変革し、社会、時代、ニーズは多様化している。


信頼を積み重ね、自分たちの“核”をきちんと理解し、
さらに革新をし続けなければ企業の永続は難しい。


そんなことを改めて再認識しました。


だけどこれって本当に難しい事です。



たまたま今日新聞で4代続く老舗の幕が降りたという
記事を見ました。



一時は正月も寝れないほど忙しい時代があった・・・と。



それでも、時代ニーズに取り残されてしまっては
そのすぐれた商品、技術を必要とされなくなってします。


伝統的なモノづくりにたずさわっていると
“人の手”、“職人”それらが持っているのは

単に“技”だけではない深い世界があるということ。


積み重ねられたその技の中には、
あらゆる“知恵”も同様に存在しています。


だから“良いモノ”というのは、
使えば使うほど機能に深みが増したり

“味”が出てきますね。


決して使い捨てにはなりません。



“伝統を守り 伝統を創る”



これはわが社の永続させなければならない
大切な理念です。


愛知ブランドのロゴマークが世界へ連れて行ってくれる
訳では決してありません。


これからも自分たちの足で、着実に
次の階段へ上がる必要があります。


賞をいただけたことでたくさんの気づきと
皆様方からほんとうにたくさんの祝福メッセージ頂戴し
うれしかったですが、


親父の嬉しそうな顔が見れたことが
何より一番のよろこびだったかな^^;


皆様にこころから感謝もうしあげます。




















2015年2月16日月曜日

ありがとうは単に感謝する心ではない。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


もうすぐ大切なあたらしい命が誕生するようです。
我が家ではありませんが(笑)


生まれてきてくれて“ありがとう”


4人の子供を授かりましたが、
誕生したその顔を見て私が最初に思った感情です。


残念ながらその産声を聴く事ができなかった子もいました。



ありがとうって“有難う”と書きます。


「有る事が難しい」、「めったにない」という心情。



だとしたら有難うというのは「当たり前」ではない状態となりますね


言い変えれば有難うの反対は“当たり前”。



生まれてくることが、当たり前。

子供を授かる子どが、当たり前。

歩けることが、当たり前。

今日生きていられることが、当たり前。



どれもこれも“当たり前”なんてことは
たった一つもありません。


私たちの目の前にある毎日毎日、
一瞬一瞬が“奇跡”の連続。



単によろこびやうれしい気持ちを伝える“感謝”
の意を有難うと表現するのではなく、


当たり前ではないそんな奇跡の状況を
心から感じられる事こそ“有難う”なのかと。


たった一人の私という存在ですら
至り届いたいのちのバトンです。


奇跡のような毎日に心から
“有難う”と思える日々が過ごせたらいいですね。



今日は友人のあたらしく誕生する命に
“有難う”




2015年2月15日日曜日

“たががゆるむ” 緩むには必ず原因がある。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


金曜は東京へ、昨日は50キロ自転車走破!

今日は瀧山寺にてリハーサルと週末テンション↗
あがりっぱなし。

身体とこころの緊張をOFFにする瞬間がなく
夜も寝れません(笑)


すこしは“たがをゆるめたい”


はい、これが本当の“たががゆるんだ状態”


たががゆるむ。



ちょうど、今日三六-SABUROKU-のたがが
ゆるんだので見てほしいというご依頼がありました。




“たががゆるむ”というのは、
まさに、この事をあらわした言葉の表現の世界ですね。


ゆるんだ気持ちや精神を締めなおす。


そんな感情や状況になる背景にはかならず、理由であり“原因”が存在します。


たとえば、この太鼓の胴。


どうして“たががゆるむ”か分かりますか?



桶というのは杉やさわら材を張り合わせて成型し
竹の“たが”を組んで締め込んでいます。


この桶の特性というのは本来は、中に何かを“入れる”という事が
目的で作られていました。


それも水分を有するもの、水や酒、みそ、しょうゆなど・・・


水分を木が吸収することで膨張しふくらみます。
こういう状態を維持できていれば“たが”は緩むことがすくないです。


ただ、太鼓の場合は胴の中に水分は入れられませんね


唯一、太鼓はこの桶を乾燥した状態で使わなければなりません。


結果、胴体がどうしても乾燥によって縮んでしまう・・・


だから木が痩せて→“たががゆるむ”


という事です。



“結果”にばかり目を奪われがちですが
かならず結果には原因という意味が同時に含まれています。



どんな事でもそうですね。


恋人同士のケンカの原因や病気の原因・・・

ケンカも病気も突然降ってくるわけではありません。


良い事も悪い事も原因と結果。


できる事なら良い結果がたくさん起きるような“原因”を
誰しも作れたら幸せですね(^^)/


みなさんに良い幸せが訪れることを
今日も願っています!



2015年2月11日水曜日

受け継ぐべきは“信用”。伝統とは信頼の証。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


幾分すごしやすい今日は、
昨日までの寒さに比べあたたかな陽気ですね!

みなさん建国記念日祝日いかがおすごしでしょうか


さて、今年あらたに大変名誉ある賞に
認定いただきました。


県内の優れたものづくり企業に与えられ
愛知から世界的ブランドへと発展を求め与えていただける


『愛知ブランド企業』



2015年、愛知ブランド企業として
三浦太鼓店認定いただきました(^^)/


創業150周年を迎えるこの年に
また大変名誉ある称号をいただき喜んでおります。


具体的に評価いただいたのは、
『チャラボコ太鼓』に使用される特殊な太鼓、

この辺りでは、“小〆”(コジメ)と呼ぶことが
多いですが、地域伝統の祭礼で使われる太鼓の
製造技術に対してと、


伝統を継承する一方で、あらたな時代に対する
新商品開発力。


この2つの点を評価いただきました。


まさしく、私たちが日々掲げる理念

『伝統を守り、伝統を創る』


この姿勢が具体的に認められ
とてもうれしく思っております!



ちょうど今日も小〆と呼ばれる太鼓の
皮を作っています!

小〆用に裁断した皮


1頭の牛からある特定の部位でしか
とることができない厳選した皮である事、

具体的には“肩”と呼ぶ部位を使いますが
非常に繊維質が蜜で、張りが良く
伸びにくくて、さらに薄い皮なんです


また製法も一般的な締太鼓と
まったく異なった作り方をします



小〆製作風景


ちょうど、この皮を作っていたら
先々代が作ったと思われる古い“小〆”の皮がでてきました。



昭和初期、本町の住所と
右頭の文字が歴史を感じますね~


80年以上たっている皮ですが
今なお破れることなく元気です(^^)




日々、“伝統”に触れることができる
ありがたい仕事に幸せを感じておりますが、


やっぱり“伝統”ってなんだろうなぁと
考えさせられる場面によく出会います。


たった一つの事ではなくて、
たくさんの要素やたくさんの事が絡み合って
できているの“伝統”だと思いますが


その中でも大切な要素の一つとして
私が感じるのは“信用”です。


日本には数多くの老舗と呼ばれる企業が
ありますが、老舗と呼ばれる代々続いて来られた企業
というのは、きっと“信用”をきちんと受け継ぎ

次の時代へとつなげてこられた会社なんじゃないかなって・・・


もちろん、技術や革新、発展や進化も必要不可欠な要素。


でも、根っこに安心や安全、
お客様や地域との“信用や信頼”がなければ


会社として続けることは難しいと感じます。



少し前に大手の企業が安全管理を怠ったり
製造工程の偽装、偽造問題が社会的に大きく取り上げられ


それで実際につぶれてしまった会社もありました。


大きくくくれば、技術や革新も“信用”と言えます。


厳しい時代や紆余曲折あっても
150年、今の時代に受け継いでこられた事に

本当に感謝の想いと同時に、


受け継がれたその“信用”を
私も次の世代へしっかりと受け渡すことができるまで

全うしたいとおもっています。

左六代目彌市作。右歴代彌市作









2015年2月9日月曜日

耳と“十四の心”で聴く事。本当の声を聴いてあげたい。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


勢いあまって今日2本目のブログ更新です。


今日はいくつか新しい太鼓を組み上げたんですが
その中の一つに、三六-SABUROKU-がありました。

三六-SABUROKU-


この太鼓の作業組み上げ感性に至るまで
ほとんど一人で工程をかさねます。


常々太鼓作りは“音づくり”だと
感じている私にとって、この音作り最終工程になる

完成組み上げ作業は、楽しみ半分ドキドキ半分なんですね~


完成した太鼓の最初の音が、はたして
納得のいく音作りになっているかどうか・・・





特に大きな違和感もなく
組み上げたのですが、完成した太鼓の音を聞いて

“違和感”がありました。


親父を読んですぐに確認してもらったのですが
親父は何も聞こえんぞと言う。


いやっ、確かにおかしい!


もう一度すべて調べを外して
開けてみます!


三六-SABUROKU-は3尺6寸の大太鼓。

調べの長さは45メートルあって
組み上げ作業も半日がかりなので、

一旦組んだ皮を外すというのは
かなりの労力なんです(>_<)


でも、そんなこと言ってられないので
調べを外してみたんです。




そしたら、やっぱり原因がありました!

これ見えますか?




皮の中央にほんの小さなささくれのような
突起がありますね~


これが叩いたときに皮の振幅で
雑音になってあらわれていたんです。

手にとってみてもこのサイズ!
本当にごくごく小さなささくれでした。





実際、聞こえないんですよ
こんな小さなささくれの音なんて。

きっとこのまま納めても
お客様は分からないと思います。


だってうちの親父ですら聞こえなかったんですから(笑)


よく“聞く”という行為は単に耳に聞こえる音を“聞く”のではなく


“耳”と“十四の心”で『聴く』と言いますね。


私が単純に耳が良くて、親父が耳が悪いという話ではなくって


何を聴こうとして“耳”を傾けているか・・・



人の心も、太鼓の心も

聴き手の“心構え”jひとつでまったく聞こえてくる世界が
違うんだと思います。


三六-SABUROKU-は私にとって
自分の分身みたいな特別な存在なので


向き合い方がきっと親父と
違う角度なんだと思います(^^)



無事に原因がわかって、
ほっと一安心。

再び組み上げたその音はイキイキ喜んでいました(^^)/