今日は地元岡崎の北中学校さんにて、
学校講演?学校公演?でした(^^)
ここ愛知県の中学校はこの時期に体験学習といって
課外授業として地元企業などと連携し、社会とは
仕事とは、働くとは何かというのを体験する授業があります
今回はそんなこれから人生の選択をしていく
中学生を相手に、まさに1人ですべてをぶつけてまいりました。
ああ~
それでも緊張しながら、まずは校長先生にご挨拶と
学校の玄関に入るとこんな看板がお出迎え(?_?)
玄関出迎えの看板
あらためて背筋がピンとしましたね(笑)
“生き方講座”
今回のお話をキッカケに、あらためて
自分自身も学生時代の事や昔のこと思い出して、
今の自分がこの子たちに伝えられることを
一生懸命考えました。
今でこそ、代々続く家業の六代目として
仕事をさせていただいてますが
実は、私は長男ではありません(^^)
そして、小さいころは太鼓屋に
なるという目標も目的も夢すらなかったです。
そもそも、親父の時代は太鼓屋として
非常に厳しい時代でした。
お祭り文化の縮小や、少子化など
太鼓そのものの需要がなかったんですね~
需要がないということは→仕事がない
仕事がないという事は→生活できない・・・
よって、親父も私達子供に太鼓屋を継げとは
言いませんでした。
言わなかったというより言えなかったんですね。
だから私の学生時代は、
太鼓屋になるという選択肢すらなかったんです。
そして自分自身、中学校、高校時代に
将来の夢とか目標が本当に持てなかった・・・
みんなが学校へ行くから学校へ行き、
みんなが就職するから就職する。
義務教育という敷かれたレールを
社会に出たときはじめて外れ、地元企業に就職し
自分自身が社会というのを体験したときに
初めて自分自身の将来とか、どうなりたいのか?
真剣に考えました。
私の場合は、たまたま家業が太鼓屋であったので
家業を手伝う事を言い訳にし
会社を辞めさせてもらい、太鼓屋の世界に入ったんです。
こんなめちゃくちゃ不純な動機が
私の太鼓人生の実ははじまりなんです(苦笑)
小さいころは、太鼓にも興味なかったし、
太鼓屋やれとも言われなかったし、
何より親父も厳しい人だったので嫌いだったし(笑)
そんな幼少時代でしたね。
それでも不思議なものですね~
そんな私が今は太鼓が何より大好きで
これこそ自分の人生すべてをかけて
伝えていくべき世界だ!
なんて思って仕事してます(笑)
その人にとってのキッカケとか
タイミングって人それぞれ違います。
だから、すでに小さいころから
夢目標がある人もいれば、
私みたいにある程度、歳をかさねてから
気付く人もいる・・・
でも自分のやるべきことが何か見つかった時
気付いたことは、
ああ、人間ていうのはその人にしかできない
何か大切な使命や役割をもってこの世に誕生するんだな~ってこと。
そして、その人にしかできない
世の中や社会に役に立てることを一生懸命やりながら生きていく。
そうすることで、誰かのためだったり
世界の平和につながっているっていう事。
私はたまたまそれが和太鼓という
カタチで与えられた役割があるだけ。
これから世界に羽ばたく
将来有望な若き子供たちに、
そんな私なりのメッセージ伝ったらと思い
講演してまいりました(^^)
あっ!
そうそう、講演と言っても話だけでなく
私が伝えられるのは活きた音でもあるので
最後に1曲演奏もさせてもらいました(^^)
やっぱり私は太鼓屋の息子なんだな~(^^)/
幼きころの写真を見ながらあらためて
自らもいろんな事考えるキッカケを与えてもらえたことに感謝です!!
左→私 右→兄貴