以前少し紹介させていただきましたが
当店に入ってきている古い修理の太鼓
ようやく張替を終え新たな息吹が加わりました。
太鼓現物:修理前
その表情からも随分古そうな太鼓だな~と感じ
胴の中を見るのが楽しみでした(@_@;)
太鼓職人は胴の中にいろんな情報を残します
出来た年、どこで作られたか、修理の状況
その時関わられた方や、寄贈された方の銘などなど
今回張り替える皮は片面だったので
その片面の皮をはずし、胴の中を見てみると
そんな様々な記録がビッシリ入っておりました。
私たちでも所見ではさっぱりわかりません
古い筆跡になればなるほど、書体の癖や保存状態から
解読することが非常に難しいのです
そんな時救世主が現れました(@_@;)
九州大学の教授が、太鼓の胴の中に記載される銘から
その時代背景や歴史を研究されており
なんと、わざわざこの太鼓に会いに
遠く愛知まで来てくださいました!(^^)!
さすが先生!私たちではさっぱりわからない書を
すらすらと読みはじめてくださいました!(^^)!
この太鼓は、作手村・相月地区の白鳥神社にあった太鼓で、
9回の修理の記録がある
五番目張り替え記録:元文2年1737年
七番目張り替え記録:寛政4年1792年
二番目張り替え記録:寛永元年1624年
この記録が間違えなければ
『天正5年』1577年
江戸時代をはるか逆のぼり
安土桃山時代とでてきました
一番最初の張り替え記録:天正5年1577年
今から約435年前となります。
ところが、これは太鼓ができた年ではなく
一回目の修理の記録です
ということは!?
太鼓自体はそこからさらに前にできたという事になります。
残念ながら太鼓が作られた年の記載はありません(>_<)
8番目の修理記録
大正7年には当店、三浦彌市の記録も残っておりました!
8番目修理:三浦太鼓店にて大正7年
無事10回目の銘を胴内に記載させていただき片面修理を終えました。
長い歴史が物語るのは胴内の
記録以外にもあります!
張り替えた太鼓を真上から撮影したものです
分ります???(@_@;)
そう、かなり円がいびつになっています。
もともとはちゃんとした円だったと思いますが
長年の風化というか乾燥、収縮の中で
このような形に・・・
今回の太鼓を通して
いろんなこと、改めて考え、感じさせられました・・・
一番強く感じたのは
本質の宿るモノはそう守られ、受け継がれ、生き続ける・・・
という事です。
今の時代
モノにあふれ、そのモノの本質や価値、意味が軽薄である事が多いように思います
本質や、価値は
そのモノによって違うと思いますが
私は和太鼓の本質はやはり“活きた音”なのだと
この太鼓からあらためて学びました。
その場しのぎだったり、パフォーマンスの道具としての“和太鼓”だったら
それは後世に残るものではないように思います。
やはり、私も太鼓職人である以上
こんな何百年も受け継がれる、すばらしい太鼓を作っていきたい!
そう思いました。
貴重な太鼓に出会えて
感謝!