新居今月のあたまに完成してたのですが
いろいろ重なる準備もあり、
いよいよ明日引っ越しーーーー!
もうとにかく、我が家は今片づけでグチャグチャです笑
思い切って捨てる捨てる!
というより、山となる捨てるゴミの山をみていると
こんなにも不必要なものと一緒にいままで暮らしていたのかと・・・
残したいモノ、残したくないもの・・・・
なにげなく判断しているようで
残されるモノと、残されないモノって
いつもいいますがやっぱり理由がありますね。
これ、古い太鼓の皮張替えで抜いた太鼓の鋲(びょう)
普通の人がみれば、これって
さびてボロボロ・・・
こんなのもう使えない。。。
そう思いますよね。普通。
でも、この鋲はまた再利用できるんです。
再利用できるというより再利用します。
ほら、こうやってきれいにしてあげてね^^;
この鋲は、今回の張替えだけではなく
幾度の張替えの際にも一旦は抜かれたのですが
また使ってもらえた鋲たちです。
傘と、釘の部分が、昔の職人さんがひとつひとつ
手作りで手間暇かけて作られているので
非常に丈夫なのです。
現在の機械で作られた鋲にすればもちろん新品なので
綺麗にはなります。
でも、その機会の鋲は1回ぽっきりで、使い捨て。
次張り替える時抜いたら
再利用できないのです。
弱いから。
本質のあるもの、真理に沿ったモノってなんでもブレないから強いです。
よく、それは三浦さんだから
判断できるんですよね~
と、言われますが
全然そうじゃない。
日常生活で、みなさんごくごく当たり前のように
良い悪い、残す残さないを判断して生きています。
モノも、人間関係も同じです。
親友、親しい友は残らないけれど
心友、心の友は永遠です。
きちんと、本質のあるモノって
やっぱり強い。
そして、そこから学ぶ大切なことが私はたくさんある。
現代は、あまり深い世界をもしかしたら
もとめていないのかもしれない。
もしかしたら心友より親友でいい。
そう思っている人のが多いのかもしれない。
そういう価値観はちろん否定はしないけれど、
それだけに偏ってしまうと大切な何かを見失う気がしてしまう。
少なくとも、私は心友に恵まれたことに感謝する。