2015年6月26日金曜日

残るモノ、残らないもの。残したいモノ、残したくないもの。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


新居今月のあたまに完成してたのですが
いろいろ重なる準備もあり、

いよいよ明日引っ越しーーーー!


もうとにかく、我が家は今片づけでグチャグチャです笑


思い切って捨てる捨てる!



というより、山となる捨てるゴミの山をみていると
こんなにも不必要なものと一緒にいままで暮らしていたのかと・・・



残したいモノ、残したくないもの・・・・



なにげなく判断しているようで


残されるモノと、残されないモノって

いつもいいますがやっぱり理由がありますね。



これ、古い太鼓の皮張替えで抜いた太鼓の鋲(びょう)


普通の人がみれば、これって

さびてボロボロ・・・


こんなのもう使えない。。。



そう思いますよね。普通。



でも、この鋲はまた再利用できるんです。



再利用できるというより再利用します。


ほら、こうやってきれいにしてあげてね^^;








この鋲は、今回の張替えだけではなく

幾度の張替えの際にも一旦は抜かれたのですが


また使ってもらえた鋲たちです。



傘と、釘の部分が、昔の職人さんがひとつひとつ

手作りで手間暇かけて作られているので

非常に丈夫なのです。



現在の機械で作られた鋲にすればもちろん新品なので

綺麗にはなります。


でも、その機会の鋲は1回ぽっきりで、使い捨て。


次張り替える時抜いたら
再利用できないのです。


弱いから。



本質のあるもの、真理に沿ったモノってなんでもブレないから強いです。


よく、それは三浦さんだから
判断できるんですよね~


と、言われますが

全然そうじゃない。



日常生活で、みなさんごくごく当たり前のように

良い悪い、残す残さないを判断して生きています。



モノも、人間関係も同じです。


親友、親しい友は残らないけれど

心友、心の友は永遠です。




きちんと、本質のあるモノって

やっぱり強い。



そして、そこから学ぶ大切なことが私はたくさんある。



現代は、あまり深い世界をもしかしたら
もとめていないのかもしれない。


もしかしたら心友より親友でいい。


そう思っている人のが多いのかもしれない。



そういう価値観はちろん否定はしないけれど、

それだけに偏ってしまうと大切な何かを見失う気がしてしまう。



少なくとも、私は心友に恵まれたことに感謝する。