2015年6月30日火曜日

太鼓は『音』。それ以外に何も必要ありません。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


いよいよ怒涛の6月も今日で終わり。

昨日も1日、あさから住んでいたマンションの大片づけに
おわれていました。

5年住んだかな~
今のマンションに。

最後は空っぽになった部屋に家族そろって訪れて
「ありがとう」と伝えて帰ってきました。

この部屋でうまれた5年間。ほんとうにいろいろあった。


今日からあたしい人生のスタートだ(^^)/



さて、そんな私の新しい人生のスタートに
これまたとんでもなくうれしい依頼をいただいたのです。


「講演」。


講演と言っても、一般の方々へのお話しということではなく
名古屋のある太鼓グループの方々からのご依頼。




私には今どうしても伝えたいなという思いに溢れています。


でも、伝えたいと思っていても

それを受け止めてくれる、受け取ってくれる人たちがいなければ

何の意味もなければ、私の存在すら意味がないです。



そう思っていた時に、今回のお話し。



だからこそ、今の私の中にあるすべてを伝え
持って行ってください。


そんな気持ちでお話をさせていただきました。



日々、ブログや演奏活動を通して
私なりの角度でいろんな伝えさせていただいています。


なかなか、現実に太鼓作りの工程や
伝統に触れることがないみなさんにとっては


私の言っていることがメッセージとして伝わりにくいのかもしれない。


それも分かっている。


だから、いろんな角度で伝えようと
必死になって考える。


角度はいろいろ考えますが、結局言っていること、伝えたい事は

たった「一つ」なのです。


太鼓は、音。 


このことを分かりやすくひもといていきます。




音というのは、言葉。

言葉というのはコミュニケーションでありメッセージです。


言葉やメッセージというのは何のためにありますか?


それはコミュニケーション、意志の伝達ですね。
人の会話と一緒だという事です。


だからその気持ちやメッセージを伝えたいのであれば、
音を届けなければ伝わらないということです。


伝わっていますでしょうか??



「音を伝えない」という事はメッセージを伝えていないという事です。


自分の言っている事(音)も分からないのに人に
聴いている人にメッセージが伝わるわけがないですよね。



目の前にあるのは、世界に類をみないほど
その意志とメッセージを強く伝えらえる楽器である「和太鼓」なのです。


太鼓は音。


昔から当たり前のように音をとどけてきたはずなのに、


現代の社会環境が、こうしたたくさんの「あたりまえ」を失ってしまったのかもしれません。



あたりまえとは真理。


真理とは変える事の出来ない大切なこと。



太鼓は『音』。



それ以外に何もありません。