こんにちは、六代目彌市です(^^)/
小さな桶を作り終え、
ホッと一息もつけないまま( ;∀;)
次なる製作スケジュールは
三六-SABUROKU-を5台と
4尺5寸を1台!!
はい、
6月からは
大きなサイズの桶の製作が私を待っているのです(笑)
2016年の1月から
桶づくりを始めてまだ1年と少し。
日々悩みの連続ですが
それでも、本当にたくさんの方々が
私を助けてくれて「今」がある。
そもそも、
なぜ?私が桶づくりをしているのか?
今日はそんなお話をしたいのです。
当店は、もともと
桶太鼓の「胴」にあたる桶は
自社では作っておらず、
「桶職人」さんに作ってもらっていました。
それが、
以前私のブログでも紹介させてもらった
秋田の伝説の桶職人“五十嵐修さん”です
過去のブログ五十嵐さん紹介はこちら↓
日本のみなさんに知ってほしい人がいる
何が伝説だったのか?
それは、とにかく抜群に仕上がりが美しかったんです。
そして、
五十嵐さんの桶は見た目の美しさだけじゃなかった。
私達が何より大切にしている“音”
活きた音と表現する太鼓にとって
一番大切なその“音”が本当にすばらしかった♬
だから、
五十嵐さんのこの桶があったから
「今」の自分たちがある
本当にそうなのです。
五十嵐さんのこの桶がなかったら、
今の三浦太鼓店はないと言っても
過言ではありません。
そして、
私がとった行動。
それは、
五十嵐さんに“桶づくり”を教えてほしいと
頼みに秋田まで行ったのです。
ご高齢であったこと、
後継者が見えなかったこと、
ご病気がちで、
入院されることが多かったこと、、、
これから、この“音”や“伝統”を
守り続けるには
「自分たちでやるしかない」
そんな思いで
秋田へと行ったんですね。
しかし、
残念ながら、五十嵐さんから私は
直接桶づくりを教えてもらう事はできなかったのです。
これが、
最初で最後となってしまった
五十嵐さんから頂いたお手紙です。
仕事を教えることは考えてない。
これからも良い製品を作っていきたいと思っています・・・・
そう綴られておりました。
実は、五十嵐さん
この私が会いに行って
ちょうど1年後に65歳という若さで永眠されたのです。
私が会いに行ったときには
数年前に患った「がん」が進行されており
教えられるほどの
体力が残ってなかったのだと
後から奥さんからお伺いしました。
当然そんなにお身体悪くされていたことなど
私はまったく分かっておらず、、、
奥さんから訃報を聞いたときは
それはそれは驚きました。
そんなこんなの事情があって
今桶づくりをさせていただいております。
私の心の先生は
いつも五十嵐さんのあの“美しい桶”と“音”があるんです。
そして、そして、
運命とは不思議なモノで、、、
実は、なんと!来月
私は、あの五十嵐さんの工房で
桶作りの修行に行けることになったのです。
私の“想い”を受け取ってくださった
五十嵐さんの奥さんが
お父さんの仕事をいつも隣で見てきた
私なら、三浦さんにお伝えできることがあると思うと、、、
できることなら、
三浦さんに道具も
材料もお父さんのものを使ってほしいと、、、、
言葉にならない想いを
背負いながら私はいつも桶づくりをさせていただいています。
時々、
うまく桶作りがうまく行かない時、
一人で悩んでるとき、、、
どうしようもない不安になるときがあります。
でも、
そんな時、
今度は五十嵐さんの奥さんが私を救ってくれました。
「初心」を忘れないで。
あらためてハッとした想いで
このお手紙を読みました。
今、自分はなぜ桶づくりをやっているのか?
今、自分がいる場所になぜいられるのか?
人間とは、勝手な生き物です。
時折り、
自分一人でこの世はあるんだ
そんな身勝手な想いになること
誰でもあると思います。
そもそも、
今、自分自身がこの場所になぜいられるのか?
家族があり、
両親があり、
そのまたご先祖様があり、、、
どんな時も、当たり前はないけれど
“感謝”の心を持ち続ければ必ず
良い方向へと道はひらけて行くんだと思います。
お亡くなりになって、
あらためて秋田へ訪れたとき
五十嵐さんの仏壇に飾られていた“言葉”がありました。
“修得した技術を広く役立ててほしい・・・”
これは、決して
私に書いていただいてメッセージではないのですが、
五十嵐さんが、
そう私に言ってくれているといつも胸に感じながら
その想いを受け継ぎ
世の中に貢献できる人間になりたいと願っています。
さて、
そんな秋田への旅が
近づいてきました(^^
次なるステップに必ず
繋がると確信していますからね!
また旅のレポート
ブログでもご紹介しますので
お楽しみに!
今日もステキな一日を(^_-)-☆