今年も秋田へ4度目の旅
無事に行ってまいりました!
みなさん
秋田へ行ったことあります??
自分の人生で、
これほどまで秋田とご縁が生まれるなんて
3年前まで想像もしておりませんでした。
本当に人生って不思議なものですね♪( ´▽`)
何度も、私のブログに登場し
これまで、
幾度となくご紹介させていただいてきましたが
私は、
何度でも伝えたい。
たった一人の人の人生の
「生き方」や「生き様」が、
これほどまでに多くのことを
気づかせてくれる。
秋田伝統工芸士、
五十嵐さんとの出会いは
私の人生の宝物です。
「伝統」とか「職人」というのは
優れた技を持つ人の事をだけを言うのではなくて、
その人の「生き方」や「生き様」から
たくさんのことを学び、感じることができます。
伝統って、
脈々と受け継がれるモノですが
やっぱり
受け継がれるモノとか歴史って
必ず受け継がれるべく「理由」があるからこそ
受け継がれていくんです。
逆を言えば、
「理由」なきものは
受け継がれないってことです。
不思議なご縁と運命で
繋がった、遠く秋田の五十嵐さん。
そんな五十嵐さんへの感謝の気持ちを込めて
五十嵐さんがこの世に生きた証しを
書き残しておきたいと思います♬
【伝統とは、先人たちの知恵】
初代の頃から、三浦太鼓店では
桶太鼓の注文があった場合は、
胴にあたる、桶の部分は
桶職人さんの手を借りて
製作しておりました。
実は、三浦太鼓店のみならず
多くの太鼓屋さんが今でもそうなんです。
「桶」を作る技術というのは
太鼓を作る技術とはまた全然違う
道具や材料が必要なので、
私達も昔から
桶職人さんの力を借りていました。
ですがひと昔前までは
ここ地元岡崎にも、
もちろん桶屋さんがあったんですが、
近年、「桶」を
使う文化そのものが衰退し、
どんどん桶屋が廃業、、、
とうとう地元岡崎には
一件の桶屋さんもなくなってしまいました。
そこで、
私達も困って
どこか、桶を作ってくれるところは
ないだろうか???
と、
まずは同業の太鼓屋さんに
情報を訪ねて
ようやく1件の桶屋さんを
紹介していただきました。
それが、五十嵐さんだったんです。
それはそれは、
とにかく素晴らしい「桶」でした。
何が素晴らしいって、
もちろん見た目の美しさも
去る事ながら、
何より、太鼓にした時の「音」が
ピカイチだったんです♬
でも、
実は、この時は
私達はある業者さんを通して
五十嵐さんから桶を買っていたので
どこのどなたが
この素晴らしい桶を作ってくれているのか???
五十嵐さんというお名前すら
まったく分からずに
ただ、唯一の情報として
「秋田の桶屋」さんであること
しか知らなかったんです。
どこのどなたが
こんな素晴らしい桶を作ってくれてるのか???
いつかお会いして一度は
直接お礼をしたい、、、、
ずっと、
そう思ってました。
でも、商売上
仲介業者さんから
どこで作ってくださっているのかは
教えてもらう事が
できなかったんです。
そこから、なぜ
今に至るのか??
まず、
順調に「桶」を作ってくださっていた
秋田の桶屋さん(五十嵐さん)、
2015年ごろから突然、
製作の納期が遅れ始めました。
あれ?
こまったなーーー、、、、
当然、直接ご本人の情報を
知らない当時は、
仲介業者さんに尋ねるしかありません。
最近、桶が全然できてきませんが、
大丈夫でしょうか???
聞くと、
どうやら腰を悪くされて
数日入院されてしまうとのこと、、、、
そこから、何度か
入退院を繰り返され、
三浦太鼓店としては、
桶太鼓をご注文いただいているお客様の
都合や、当然納期もあって
これは、本当に困ったなーー( ;∀;)
どうしようか、、、
と悩みに悩んでいました。
悩んでいても
事は一向に進まない、、、
とにかくやれる事は
一つずつやってみようと、
まず、全国にある
どこか他にも良い
桶屋さんがあるかもしれない、、、
そう思って片っ端から
探してみることにしました。
それでも、
一般的な「桶」を作ってくださる
桶屋さんはあっても、
「太鼓用」の桶というのは
材料の木取り方や作り方が違って
全国どこをさがしても
やっぱりなかったんです、、、、
太鼓としての需要やニーズはある。
でも、
肝心な桶そのものができない、、、
この時は、
本当に不安と焦りでいっぱいでした。
そこで、私は2015年
いよいよ秋田へ直接行くことを決意します。
秋田へ行く目的は、
2つありました。
1つは、
とにかく今後の先行きが不安で
現地に行けば、新たな桶屋さんなど
何か良い情報が見つかるかもしれない
もう1つは、
私達がお世話になっている
桶屋さんを見つけてお礼が言いたい
この2つでした。
事前の情報収集は
ネットなどで色々調べて
秋田に5件の桶屋さんがある事を
見つけました。
もしかしたら、
その中に、
いつもお世話になっている
桶屋さんがあるかもしれない、、、、
そんなわずかな
期待を胸に、
調べた桶屋さんリストを
作っていたことを今でも思い出します。
いよいよ秋田へ、
飛行機の手配もし
スケジュールも決めて行こう!
そう思っいた時に、
桶太鼓の製作が
遅れに遅れてしまっていた
あるお客様からから
どうしても
いついつまでの期日に
太鼓を間に合わせて欲しいとの
お電話、、、、
これは
いよいよ困った、、、
仲介業者さんに
事情を伝えると、
1日でも早く三浦さんに
届くように、
直接、桶屋さんから
三浦太鼓さんへ桶を送ってもらうようにします!
そう言ってくれたんです。
何ともありがたい
対応に感謝したんですが、
そこから奇跡が
動き始めます。
そう、
直接送ってくださった秋田の桶屋さん
当然、運送業者に書く
荷札には、
送り元となっている
送り主の「名前」が書かれていたんです
そこには、
秋田県能代市、「五十嵐桶樽工房」と
記入されてました。
え!!
もしかして
これが!
初めてあのすばらしい桶を
作ってくださっていた方が
「五十嵐さん」という方だったことを
知ったんです♬
親父と、この荷札を見たときの
感動は今でも忘れません、、、
そこで、
すぐに
私は自分が尋ねようと思っていた
秋田の桶屋さんリストを見直してみたら、
何と!
五十嵐さんの名前が
ちゃんとあったんです♬
それも、
一番最初に行こうと思った
桶屋さんが五十嵐さんでした。
ようやく、ご本人に
これでお会いできる。
会ってお礼が言える。
書かれていた住所の先に
すぐに私はお手紙を書きました。
あなたが作ってくださった桶が
どれだけ素晴らしいか、、、
一度、直接会って
お礼が言いたい。
これまでの感謝の気持ちを
とにかく伝えたくって言葉にならないほどの
の想いを手紙に書きまくりました。
その時、
私の書いた手紙に対して五十嵐さんが
お返事くださったのがこのおハガキです↓
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このたびは、私の作った太鼓の「胴」を
喜んでいただき、お手紙を読んで
とてもうれしかったです。
26日からは仕事で
県外に出張してしまうので
それまでに来ていただけましたら
たすかります
2015年8月五十嵐修
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これで、
ようやくご本人に会えるんだ。
かくして、2015年夏
運命の秋田への旅路が始まりました。
どこまでも続く青空と、
どこまでも続く秋田こまちの田んぼ道、、、
秋田の第一印象は、
なんとも言えないこの
自然に包み込まれるような優しさを
感じながら、
これから始まる
旅のワクワク感をさらに高めるモノでした。
期待に胸膨らませ
いよいよ到着!
ここが、
五十嵐桶樽製作所♬
決して大きな工場ではなくって
一件のご自宅の片隅での桶作りをされてる様子、、、
緊張とワクワクと
ドキドキと、
とにかくいろんな感情が
入り混じって
初めて五十嵐さんにお会いした時の
「感動」は今も鮮明に頭の中に焼き付いています♬
五十嵐さんは、
頑固な職人!
というよりも、
とてもやさしい表情で迎えてくださいました。
よーーく
遠くから来てくださった。
とにかく中へ
入ってください♬
そう言って
店内に招いてくださいました。
店の軒先や店内
いたるところに桶の材料となる
秋田杉が干してあり
とてもいい香りがしました♬
秋田杉を原木から仕入れて
作っていること、
また、
貴重な工房にも入れていただき
道具の事や
桶作りのこと、
いろんなお話をしてくださいました。
午前中に五十嵐さん宅へ到着して
夕方帰るまで
たっぷりと5時間くらい
滞在させてもらったでしょうか、、、
これまで
伝えたかった感謝や
五十嵐さんの桶作りの事、
息子さんはいるけど、
仙台の会社へ勤めており
桶作りは継がれていないコト、、、
お身体の具合の事など、、、、
本当にいろんな話をさせてもらいました。
そして、
私が訪れた翌日から
奥さんと2人で
北海道へ2週間ほど旅行に行くんだと、、
そんな話までしてくださいました。
これが、
2015年8月
私がはじめて、秋田を
訪れ五十嵐さんにお会いした旅でした。
帰りの飛行機の中で、
ようやく、ご本人に
直接お礼が言えた事による満足感と
お身体の事や
後継ぎさんがいない事など
私達からしたら
将来への不安はぬぐいきれず
2つの想いが複雑に交差していました。
悶々とした思いは
岡崎に帰ってきても
ずっと変わらず、、、
とうとう決意します。
桶作りを教えてもらおう。
五十嵐さんの作ってくださる
桶は本当にすばらしい。
この先、
この「音」を守るためには
本人から桶作りを
教えてもらうしかない。
もう、
その方法以外に
道は見つからなかったんです。
そこで、
再び五十嵐さんに
お手紙を書きました。
桶作りを私に教えて欲しいと、、、
その時、五十嵐さんから
いただいたお返事がこちらのお手紙でした。
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私どもでは仕事を教えることは
考えておりません。
これからも
今までと変わらず良い製品を作って
いきたいと思っております
今後ともよろしくお願いいたします
五十嵐
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率直に、お断り
されてしまいました。
一つの道を極めること。
職人の世界の厳しさ。
太鼓屋として
少なからず様々な経験を
させてもらってきた私自身だからこそ、
この、五十嵐さんからの
短くもストレートなお返事が
とても心に刺さり、
それ以上
お願いすることはしませんでした。
ここで、普通の人は
きっと諦めるでしょうね。
でも、
そんな時に、
なんと地元愛知に
桶職人がいるという事を
あるテレビ番組をキッカケに
知ることになります。
それが、
私の師匠である永谷さんとの出会いでした。
聞けば、昔から
太鼓の桶はたくさん作っているとの事、
仕事を教えてくださいますか??
また、断られて
しまうのでは、、、
恐る恐る尋ねるも
永谷さんは
快く教えてくださることのこと、、、、
奇跡ってこういう事を
言うんでしょうね、、、
諦めなければ、
必ず神様がどこかで見ていてくれて
その道の一筋の光を
照らしてくれる
そんな奇跡のつながりに
感謝と同時に、
永谷さんから桶作りを
教えてもらって、
いつか、
いつの日か
五十嵐さんから
教えてもらえるように
リベンジしよう、、、
そう思っていました。
師匠は83才でした。
お年は高齢でしたが、
まーとにかく元気元気!
手だけではなく、
足まで使って、
それはそれは
器用に桶を仕上げる様子を見て
こういう「知恵」こそ
後世に残さなければならない伝統だと
確信しました。
これが、
そんな師匠に習いながら
2016年1月に
初めて完成させた桶太鼓です。
もう、
このころ、
五十嵐さんは再び
お身体が悪いという事で
特に、腰の状態が良くない、、、
そう聞いていたんですが
再び入院されてしまうとのこと、、、
もう待ったなしの状態で
桶太鼓を待ってくださっているお客様が
たくさん控えていたので、
この先の注文は
全て自分で作ると決意します。
最後に人の背中を押すモノって
きっと、本当の本気の「覚悟」
なんでしょうね、、、
この時、
私には自分でやる!
それ以外の選択肢が
まったくなかったんです。
だから、
できたんです。
できたというより
やるしかなかった状況。
とにかく、
必死でしたが、
それでも楽しかったです。
桶作りの経験も、
知識も技術も何もなかったですが、
この道を積み重ねれば、
必ずや自分たちが
めざす「音」へのゴールにつながっている
その「確信」だけが
わたしの心を突き動かしてくれました。
結果的に、
2016年1月からスタートした
私の桶作り、
2016年の1年間で
何と「100台」もの自作桶を
完成させることになります。
そんな、光が見えてきた
そう思った矢先の出来事でした、、、、
五十嵐さんに会いに行って、
ちょうど1年が経った
2016年9月。
突然、
五十嵐さんからではなく
五十嵐さんの奥さんから
お電話が鳴ったんです。
あれ?
何で奥さんから???
とても嫌な予感が
走ったのを今でも鮮明に覚えてます。
それは、
あまりにも突然の訃報でした。
お身体悪く
入退院はされていましたが、
まさか、
それほどまでに
悪かったことを
本当に、全く知らなかったです。
お電話の向こうで
奥さんが泣きながら
お話しくださいました。
11年前にガンを発症したこと。
それが5年前に再発していたこと。
前立腺がんという病気で、
お腹の痛みが
腰まで広がっていたため
常に腰が痛く、
腰の調子が悪いからと
私達に伝えていたこと、、、、
言葉になりませんでした。
そして、
再び訪れることになる
秋田への旅。
2016年の冬のことでした。
そこには、
五十嵐さんの姿は
もうありませんでした。
仕事場には、
作りかけの桶の材料が
まだそのまま立ててあり、、、
うちから注文させてもらった
桶の注文書が、
そのまま置かれていました。
この時五十嵐さんの奥さんは、
いろんなことを教えてくれました。
去年三浦さんが
来てくれた次の日から
2週間、北海道へ旅行へ行きました。
病の痛みと戦いながら
たぶん、本人は最後の旅行になる
そう決意していたんだと思います。
そして、
お父さん、
本当は三浦さんに
桶作りを教えたかったんです。
自分自身の身体の事が
あって、
人に教えられるほどの
状態じゃなかったんです。
と、、、、
そういう事だったのか、、、
すべてが
繋がった瞬間でした。
本当に、
そこまで容体が悪かったとは、、、
本当に私たちは
まったく知らなかったんです。
悲しみというより
悔しさばかり。
せめて、
もう一言だけでも
直接お礼が言いたかった。
私は、
奥さんにこの時
初めて自分が桶作りを始めた事、
いつか、
教えてもらいたいと
リベンジしようと考えていたことを
伝え、岡崎へ帰ってきました。
そして、
岡崎に帰って数日、
五十嵐さんの奥さんから
こんなお手紙をいただいたんです
去年の今頃、
まさかお父さんがいなくなるなんて
奥さん自身も考えもしなったこと、、、
そんな中、
最後の最後に
三浦さんに出会えたことの意味。
もう少し、お父さんの
からだが悪くなければ、、、
そう思うととても残念でなりません。
そして、
お手紙の最後に、
何とこのような言葉が書かれていたんです。
もし、
三浦さんがお時間をとることが
できたら、
一度、お父さんの仕事場で
桶を作ってみませんか?
長年、私はお父さんのそばで
ずっとお父さんの桶作りを見てきました。
材料も、道具も揃ってます。
実際に、うちにきて
桶を作りながらお話しできたら
何かつかむことができるんじゃないかって
思ったんです。
そして、
お手紙の最後にはこう綴られていました。
よくお父さんは、言ってました。
モノづくりをしている人に
一番大切なことは、
カンの良さ、
のみこみの早さ、
絶対に手を抜かず、
ていねいなモノを作る。
人が作れないモノを努力して
作れるようになる事。
その他にも
いろんな話を教えてくれました。
三浦さんに、
私がきいてきたこと、見てきたことを
伝えられたらと思ってます。
もし、
よかったらいつでも
私はお手伝いしたいと思います
五十嵐祐子
悲しみに中に
再び一筋の光。
言葉にならぬ
希望をこのお手紙からいただきました。
そして、
2017年6月。
3度目の秋田への旅で
私の夢はとうとう実現したのです。
ここは、
あの憧れの五十嵐さんの工房。
なぜ?
ご本人がいない今、
わたしがこうして
この場所で仕事をさせてもらえているのか???
不思議で仕方ありませんでした。
五十嵐さんの奥さんは
本当に丁寧に細かく
桶作りのことを
私に教えてくれました。
この時、作らせてもらった桶は
最初からこれを
作ろうと決めていたんです
そう、
三浦太鼓店から注文させもらっていた
注文書の桶。
五十嵐さんの作業場には、
その桶を作ろうと
準備して
そのままになっている
材料が置かれていたんです。
こうして、
止まっていた時間が
再び動き出しました。
これまで、
まだまだ駆け出しとは言え、
桶作りをしてきたので
これまでの自分のやり方と、
憧れの五十嵐さんのやり方、
いったい何が
どう違ってあの「音」が生まれているのか?
感じられる感覚を
すべて研ぎ澄ましながら
大切な五十嵐さんの
道具も使わせてもらい
この時、2台の桶を
完成させました。
自分自身の経験が
少なからずあったお陰で、
この先の新たな
桶作りの目標が
五十嵐さん奥さんのお陰で
またこうして繋がって行きました。
この時、
初めて愛知から親父も訪れ
五十嵐さんに感謝を伝えます。
そして、
2018年6月
今回が4度目の秋田への旅。
今回の目的は、
秋田原木市場へ
秋田杉を買い付けに行くこと!
生前、五十嵐さんは
自分の桶作り
最初から最後まで責任を
持って良いモノ、本物をを届けたいと、
すべて、自分の目で
選んだ原木から桶を作っていたそうです。
そんな生き方が
単純にカッコいい!!
私は、同じ職人として
こころから憧れていました。
その夢を、
再び叶えてくださったのが
五十嵐さんの奥さんなのです。
原木市場への秋田杉の買い付けも
常に夫婦そろって行っていたそうです。
そうして
得てきた経験や知恵を
また、
ふたたびこうして
教えてくださることになったんです。
五十嵐さんの
奥さんのお手紙には
こんな言葉がありました。
夢を叶えるということは
自分が 自分として
生まれてきた目的を果たすことです。
人は、
何かその人にしかできない
役割を必ずもって
この世に生まれてくると言います。
「夢」っていうのは、
何かとんでもなく
すごい事をすることでは決してなくって
夢を叶えるとは、
その自分自身が
この世に生まれた役割を
きちんと理解して、
その意味と目的を果たすべく
行動しつづけること、、、
そう教えてくださいました。
五十嵐さんのお仏前にも
このようなメッセージがお写真と共に
今も、飾られています
修得した技術を
広く役立てて欲しい、、、、
大空からありがとう。
世のため、
人のために役立てる事。
人としてこの世に誕生し
自分自身の「夢」の先が
誰かの役に立てるようになる事。
それほど
幸せな人生ってありませんよね。
五十嵐さんと出会って、
私の人生は間違いなく大きく
変化しました。
「本物」のモノづくりの中には
「本物」の生き方がある。
「本物」とは、
人の心に届くモノ
私が、
一番最初に五十嵐さん桶を見て
感じた「感動」というのは、
職人としての「技」ではなく、
そんな「生き方」にあったんだと
気付かされました。
だから、
今はハッキリと言えます。
「伝統」というのは、
こころ豊かに生きる
先人たちの知恵だと。
「伝統」それは
辞書を引けば
代々脈々と受け継がれるモノ、、、
と、あります。
脈々と受け継がれるモノには
やっぱり受け継がれるべくして
受け継がれる「理由」があるんです。
大切なモノは残されるし、
そうでないモノは
残されないのです。
モノも、人の生き方も同じです。
今、私の桶作りの道具は
すべて
この五十嵐さんから頂戴し
受け継がせてもらったモノたちばかりなのです。
何度も言いますが、
大切なモノは残されるし、
そうでないモノは
残されないのです。
本当に「大切なモノ」が
一体なんなのか???
それを、きちんと考え
理解して、
自分自身の人生の目的の
延長線上に「夢」をのせて生きる。
たった一人の人の人生
生き方、生き様が
多くの事を教えてくれました。
こうして、
渡されたバトン。
バトンですから、
五十嵐さんから
受け取ったように、
私も、次に
つなげられる
そんな生き方をしていきたい。
今回買い付けたこの原木が、
いよいよ太鼓になるとき、
また、
ほんの少しだけ
あの憧れの
五十嵐さんに近づけた。
そう思えるのでしょうか、、、
五十嵐さん、
心からありがとう。