2015年9月6日日曜日

ホンモノとは一体なんなのか?夏の終わりの郡上踊り

 こんにちは、六代目彌市です(^^)/


昨晩、岐阜県郡上八幡の郡上踊りへ参加してきました^^;


お恥ずかしながら、郡上踊り現地へうかがうのは
今回わたし初めてです^^;





いや~、すごいですね~


昨晩は今年最終日で、天気も良い週末ということで

ものすごい人が郡上に集まってきていました。



地元岡崎の夏祭りに何かヒントになるものはないかと、

今回は視察が主な目的だったのですが、


やはり、現地に行くと感じることがたーーーっくさんありましたね~



たくさんありすぎて何を言葉にして良いか
まとめることが難しいですが、


まず私、踊れないのですよ笑



普段は踊り手ではなく囃し手ですからね^^;


踊る事はまーーったくできません(>_<)



そんな、私が列の後ろの方で
踊りの上手なみなさんの手足を見よう見まねで


フリフリしていると^^; 現地の人はあったかいのですよ~


そんな後ろで踊ってないで前に入りなさいと、

そんな勇気もへったくりもない私を
列の最前列へ送り込んでくださるのです^^;



そのあたたかい“おもてなし”に応えないわけにいかないと

もうそこからは必至で踊りをがんばりましたよ笑



じっさい、こうやって参加させてもらって

一番感じたのは現地の方々のあたたかさ。



そして、このあたたかさはどこから来ているかと言うと


やはり、地元郡上に対する愛と誇りですね。




それを感じられただけでも、行った甲斐がありました。




お盆の時期には夜通し踊る徹夜踊りがあるそうですが、


踊りだけでなく、どちらかというと職業病のわたしは


囃し手の太鼓が気になってその“音”を見てきました。




山車に乗せられた太鼓は、並附け締太鼓と
2尺2寸前後かな~めずらしい曲げわっぱ胴の平締め太鼓でした。


テンポリズムを刻む締太鼓と、節々でドーンとくる平太鼓の低い音が
とっても心地よく奏でられていました。



笛、太鼓、歌、三味線、それぞれが祭りの音。



太鼓の囃し手はたった一人でしたが、


その“音”は、しっかりと“本質”を奏でていました。






いつもそうなんです。


伝統芸能の“音”にはこの“本質”がある。


本質とは、言い変えればものごとの“本来の姿”ということです。



決して華やかさはありませんよ、


一人で演奏するわけだし、

そんなにたくさんの太鼓セットを使うわけでもない。


大きなパフォーマンスで魅せるわけでもない。




素朴かもしれないけど、その音はまぎれもない“ホンモノ”なんです。



現在の体育競技のような創作和太鼓には、

残念ながらこの“ホンモノ”をとらえる視点が薄い気がしています。




本質=本来の姿であれば


太鼓の本質→太鼓の本来の姿。


祭りの本質→祭りの持つ本来の姿、意味。



そういうモノが自然と見えてくる気がします。



太鼓の本来の姿というのは、その“音”を伝える楽器ですね。



答えはいつもとってもシンプル。



音を伝えるための楽器なのですよ太鼓は。



エンターテイメントやパフォーマンスの道具ではないです。



良いモノ、ホンモノと呼ばれる価値あるモノ事というのは

一般の人にはなぜ?という理由まではわからないにしても、

自然と残され受け継がれていきます。



そうしたところにはこの郡上のようにちゃんと人が集まってきますね。


みな感じるチカラを持ってるからです。



逆に、ホンモノでないもの



ホンモノではないものというのは“本質”がないもの


本質がないものというのは→本来の姿ではないものと言い変えれます。



本来の姿でないモノはやはり残されないし受け継がれないし伝わらないです。



太鼓の本来の姿は“音”を伝える楽器です。



答えはいつもシンプル。


難しいことは何一つないです。



そういう視点で目の前になるモノごとに向き合ってみると

いつもと違う角度で本来の姿が見えてくるかもしれません。



久しぶりに興奮した昨晩は、明け方まで眠れず・・・



完全寝不足ですが、昨日のテンションで↗


今日も仕事がんばります。



今日も素敵な一日をヽ(^o^)丿