2015年2月9日月曜日

耳と“十四の心”で聴く事。本当の声を聴いてあげたい。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


勢いあまって今日2本目のブログ更新です。


今日はいくつか新しい太鼓を組み上げたんですが
その中の一つに、三六-SABUROKU-がありました。

三六-SABUROKU-


この太鼓の作業組み上げ感性に至るまで
ほとんど一人で工程をかさねます。


常々太鼓作りは“音づくり”だと
感じている私にとって、この音作り最終工程になる

完成組み上げ作業は、楽しみ半分ドキドキ半分なんですね~


完成した太鼓の最初の音が、はたして
納得のいく音作りになっているかどうか・・・





特に大きな違和感もなく
組み上げたのですが、完成した太鼓の音を聞いて

“違和感”がありました。


親父を読んですぐに確認してもらったのですが
親父は何も聞こえんぞと言う。


いやっ、確かにおかしい!


もう一度すべて調べを外して
開けてみます!


三六-SABUROKU-は3尺6寸の大太鼓。

調べの長さは45メートルあって
組み上げ作業も半日がかりなので、

一旦組んだ皮を外すというのは
かなりの労力なんです(>_<)


でも、そんなこと言ってられないので
調べを外してみたんです。




そしたら、やっぱり原因がありました!

これ見えますか?




皮の中央にほんの小さなささくれのような
突起がありますね~


これが叩いたときに皮の振幅で
雑音になってあらわれていたんです。

手にとってみてもこのサイズ!
本当にごくごく小さなささくれでした。





実際、聞こえないんですよ
こんな小さなささくれの音なんて。

きっとこのまま納めても
お客様は分からないと思います。


だってうちの親父ですら聞こえなかったんですから(笑)


よく“聞く”という行為は単に耳に聞こえる音を“聞く”のではなく


“耳”と“十四の心”で『聴く』と言いますね。


私が単純に耳が良くて、親父が耳が悪いという話ではなくって


何を聴こうとして“耳”を傾けているか・・・



人の心も、太鼓の心も

聴き手の“心構え”jひとつでまったく聞こえてくる世界が
違うんだと思います。


三六-SABUROKU-は私にとって
自分の分身みたいな特別な存在なので


向き合い方がきっと親父と
違う角度なんだと思います(^^)



無事に原因がわかって、
ほっと一安心。

再び組み上げたその音はイキイキ喜んでいました(^^)/