2016年2月17日水曜日

太鼓が上達する考え方。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


太鼓づくりのかたわらで、
演奏活動をはじめて11年が経ちました。


私が演奏活動をはじめたキッカケは、

太鼓職人として、自分の作る太鼓の“音”に責任を持ちたかった。


これだけです。


太鼓職人とはいえど、使われる環境や時代のニーズにこたえるためには、

まずは、自分自身がその環境に身を置いてみないと分からない。


そう感じたからです。


お蔭様で、自分自身が演奏活動をさせていただく中で

たくさんの気づきがあり、それがそのまま


太鼓づくりへと、“音”づくりへとつながっています。






最初は、太鼓職人と言えど

演奏はまったくの初心者でした( ;∀;)


バチの握り方から、太鼓の前にどうやって構えたらよいかもわからない。。。


それを、当時の指導者となっていただいた先生から

手とり足取り教えてもらう日々でした。



そんな活動も10年がたったあたりから、

自分の中である“変化”があらわれてきます。



それは、いろいろな演奏を経験し、

またいろいろな方の演奏を見る機会を通して


心にスーーっと響く、伝わる演奏と


そうじゃない演奏があることに気付き始めました。


これはあくまでも私の主観的な感情ではありますが、

でも、明らかに自分自身の心に伝わる“何か”が違うのです。


みなさんも、そういう経験ってないですか?



さらにさらに不思議なことに、


伝統芸能の“音”と現代の創作系と呼ばれる太鼓の“音”に

明らかな“違い”があることに気付きました。



伝統芸能の“音”というのは、

地域の祭りだったり、祭礼で使われる太鼓の音。



創作系の“音”というのは、

楽器として今や世界中に広がりをみせる現代の音。



実は、伝統芸能の音というのは、

有名な芸能であるないにかかわらず、


どんなに小さな祭りの音であっても心にスーッと入ってくるんです。


太鼓の数だって芸能の太鼓は創作系に比べ
種類も数もそんなにたくさんあるわけじゃないですね。


なのにどうしてこんなにスーッと心に入ってくるんだろう?


ずっとその事が疑問だったのですが、

日々伝統と言われる古い太鼓にかかわったり、


太鼓つくりを通して、また現代の創作系の演奏活動を通して


一つの答えが見えてきました。


それは、太鼓とういは“上達”するためにとてもとても大切な“考え方”

があるという事です。



普通に考えて、何かを上達するためには

“技術”が一番大事。


そう考えがちですよね。


太鼓は体力もいりますから、技術だけじゃなく、

体力、筋力を鍛えたり・・・・



もちろんそういったことも、長い演奏、舞台を作るうえでは

必要不可欠な要素ではあります。



でも、いくら筋力や体力や“技術”があっても、


それ=太鼓が上手


という縮図ではどうやらこの世界は違うということに気付きました。




上手という判断基準はどこにあるでしょうか?



私は単純です。


それは心に“伝わる”か“伝わらない”か。


みなさんも一緒ですよね。


心が動く、“感動”がなければいくらすごい技術でもそこから
世界はつながっていきません。



じゃあ、どうしたら“伝わる”演奏ができるのでしょうか?



その答えは、


“自分自身の目の前にある太鼓とつながること”



ちょっと哲学的で難しい?そう感じますか?



いや、決して難しい考え方なんかじゃありませんよ。



例えば人間関係、夫婦関係、友人関係、子供の教育。



考えてみてください。


豊かな人間関係をきづいている人の心構えってどうですか?


幸せな家族関係をきづけている人の心はどうですか?


子供に対して、きちんと教育できている人の心はどうですか?


そういう人の周りは自然とゆたかに
世界が広がっていませんか?




自分だけの事を考えていたり、

相手の事を思いやれなかったり、

相手の立場になって考えられなかったり、

そこに“愛”がなかったら・・・・


人の心と心はつながりませんよね。



それと全く同じということです。


太鼓と置き換えてみてください。



自分の事だけを考えていたり、

太鼓の事を思いやれなかったり、

太鼓の立場になって考えられなかったり、


そこに“愛”がなかったら・・・・



自分と太鼓の心と心はつながりません。



そもそも自分が目の前にある太鼓とつながってないのですから

その先にいる“人”の心につながる演奏なんてどんなに技術が

上手だろうが伝わりっこない。



そういう事です。



伝統芸能の“音”というのは、素朴であれど

そういう自然に対する“感謝”や豊かさに対する“愛”に


溢れている。

そう感じます。



不思議です。


モノに溢れる現代。


何不自由のない時代と言われる世の中で、

現代人は本当の“豊かさ”を見失っていやしないだろうか?



“環境”の変化はそのまま人の心の“変化”ですから


仕方のないことかもしれませんが、


それでも、先人たちがつちかった大切な大切な“心”を


私たちは見失わないようにしなければなりませんね。



今日も豊かな一日を(^_-)-☆