2016年2月4日木曜日

受け継ぐ“理由”があるモノとないもの。そこにこそ伝統の“理由”がある。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


さて、今日はこの週末納品に伺う
今年初の三六-SABUROKU-を仕上げております。





長野の山の方へお嫁に行く予定です(^^♪


いくつ作っても、やはり

一つとして同じ“音”はない、私にとっては

子供の用であり、兄弟のようであり、

もしかしたら自分自身なのかもしれません。


喜んでいただけることが楽しみです!



さて、


先日、我が母校であり

現在私の長男と次男が通う地元岡崎の

男川小学校で、講師としてお話と

和太鼓零~ZERO~の公演会を依頼していただきました(^^♪





テーマは、先日NHKさんの放送でも

伝えていただいた“伝統って何だろう?”


まさしく現代っ子である

現代の子供たちに、“伝統”という言葉を伝えるきることは


私にとっても挑戦でありました( ;∀;)



難しい言葉や表現を使っても、

やはりまだまだ小学生には理解できないこと


たくさんありますからね。


いや、むしろ


現代に生きる私達は大人だって


“伝統”という言葉は聞きなれていても、


では、その言葉の中にある本質を理解することは難しいのかもしれません。




和太鼓の伝統、日本の歴史、、、


いくら歴史や伝統があっても、


今の時代、それだけでは次の時代に受け継ぐことが

難しい・・・


私は、常々そう強く感じています。



伝統って何でしょうね?



辞書を引くと、こうあります。


“歴史を通じて後世に受け継がれていくもの、こと”



言葉にすることはとてもかんたんですね。


では、どうして後世に受け継がれていくんでしょうか?



受け継がれるモノ、

受け継がれる事には

受け継がれるべく“理由”が必ず存在します。


逆を言えば、


“理由”なきモノは受け継がれない。


そういうことです。




たくさんのモノに溢れる現代。



壊れたら捨てる、


壊れたら買い換える。。。



そんなモノは世の中に溢れかえってます。


こういうモノは、後世に受け継ぐ“理由”がないモノです。




私は“伝統”とは積み重ねられた“知恵”だと思っています。




やっぱり先人たちの知恵はすごいです。


モノづくりという立場から、先人たちの知恵とつながる

仕事をさせてもらってぎますが、


このひとつの工程や工夫を生み出すのに

いったいどれだけの年月をかけて作り上げてきたのか・・・


そんなことを感じる瞬間がたくさんあります。


それこそ先人たちの“知恵”



だから、受け継ぐべき“伝統”というのは


決して姿カタチのことを言うのではなく、


その中に宿る先人たちの“知恵”であり“魂”です。



その素晴らしさを知ってしまった以上、


伝えないわけにはいかないのが


今の私のすべての活動の原動力なのかもしれません(^^♪







零~ZERO~公演の中で、


小学校5年生の長男と2年生の次男が、

全校生徒の前で、太鼓演奏を披露しました(^^♪





先生からの強いご要望だったのですが、

最初2人に話をしたときは、


はずかしいからか、泣いていやがりました( ;∀;)



それでも、

あなたたちは何の為に小さいころから太鼓を叩いてきたのか、


誰でもできることじゃない役割を与えてもらっているんだか

がんばろうと説得し、2人はがんばってくれました(^^♪



想い出の母校、


まさか自分が大人になって子供たちを相手に講師になるとは

想像もしてませんでしたが、


こんなすばらしいご縁をいただけたことに

心から感謝いたします。