こんにちは、六代目彌市です(^-^)
いよいよ12月ですね〜
あっという間の1年で、
年を重ねるたびに「時」の大切さを
身にしみて感じるようになりました(^^♪
今年1年の自分自身のテーマ「走る」を掲げ
まさにフルマラソンからの挑戦にはじまり、
新たな桶作りの修行の道へと
本当に走り続けた1年だったなぁ〜と、、、
さて、今日は
そんな桶作りのお話です。
正直、今回のブログはうまく話を書ける、
まとめられる自信が全くありません。
でも、
どうか多くのみなさんにこういう方がいたこと、
そして、こういう人たちが日本の文化を作り
守ってきたということを知ってもらいたい。
見て聞いて感じたことを
私自身も忘れないために心のスケッチとして
今日は書き留めておきたいなと思ってます。
長くなると思いますので
お時間あるときにでも読んでいただけたら幸いです。
今日、私は大切な人に「感謝」を伝えるために
秋田県へ一人旅に出てきました。
飛行機は大嫌いです(ーー;)
大切な人。
それは、先日お亡くなりになられた
秋田の桶職人、“五十嵐修さん”です。
私がいま、なぜ?桶づくりをしているのか
それは先日こちらのブログで詳しく説明
させていただいたので、
まだ知らないという方は
ぜひこちらの記事もお読みいただけるとうれしいです。
なぜ?私が桶づくりをはじめたのかブログ>>>
実は、今年の1月から始めた桶づくりですが
去年まで三浦太鼓店の桶はすべて
先ほどご紹介した秋田の桶職人
“五十嵐修さん”に頼んでいたのです。
そんな五十嵐さんに私がはじめて
直接お会いしたのが、2015年
昨年の夏のことでした。
何年もお仕事をしていただいていながら、
秋田と愛知、
同じ日本とはいえ、そう簡単にうかがえる距離で
なかったこと、
そして、もうひとつは実は私たちは
“ある会社”を通して五十嵐さんの桶を
買わせていただいていたので
去年まで東北の方が作ってくれているという
ことは分かっていたのですが、
どなたが作ってくれているのか?
知らなかったんです・・・
そこからなぜ五十嵐さんと分かったか?
ここにも一つドラマが。
桶を発注していた購入先の会社さんに、
どうしてもお客様から急ぎでお願いされているので
明日、三浦太鼓店に到着してないと間に合わない、、、、
そう伝えると、
では、職人から直接送らせるようにしますと、、、
すると、
送られてきた段ボールには当然
“送り元”となっているお名前が記載されていたのです。
今でも、お名前が分かった時の親父と二人で
感動したことは忘れません。
これでお礼を伝えに行ける!
すぐに秋田へ旅立つ準備をしたのが
去年のことでした。
五十嵐さんに会いに行った目的は2つありました。
一つは感謝を伝える事。
もう一つは、桶づくりを習いたいとお願いする事。
当店では自分たちで桶は作れなかった分
いろんな人に、様々な桶をこれまで頼んできました。
そして、何が良いのか、
太鼓にしたときに誰が作ってくれる桶が
一番いい音がするのか、、、、
いろいろと試した結果、
五十嵐さんの桶が抜群に素晴らしかったんです。
だから、その事をご本人に感謝を伝えたい、
そして、ご高齢でしかも後継者もみえないと
知っていたので
できることなら、
その伝統、文化を後世に残したいと思い
桶づくりを教えてもらえませんか?
そうお願いしに伺いました。
代々続く桶職人の家系。
秋田の杉と風土、歴史や文化が
このすばらしい“音”につながっていること。
私たちは、いつも何より大切にしているのは
“音”なんです。
このすばらしい“音”を守るには
このすばらしい桶を守ること以外に道はない。
そう確信していました。
でも、
残念ながら五十嵐さんから直接
桶づくりを習う夢はかないませんでした。
“教えることはできない”
そう断られてしまったんです。
それが昨年の8月のこと。
そこから今の師匠に出会い、
今年の1月から桶づくりをスタートし
いつかもう一度
ある程度知識と経験がそなわったら
五十嵐さんに頼もう!
そう思ってました。
突然の悲報は、
今年の9月のことでした。
五十嵐さん、
実は9年も前からがんを患っておられて、
入院と治療、投薬を繰り返していたそうです。
知らなかった、、、、
お身体が体調悪くて
たまに検査入院だというお話は
聞くことがあったのですが
まさか、
そこまで悪かったとは
想像もしてませんでした。
悲しみというより、
あぁ、
これでまた一つ
日本の大切な財産、タカラを失ってしまったなと、、、、
伝統や知恵、経験や技術は
お金じゃ買えませんから。
積み重ねた時間、
お金じゃ買えませんから。
私は、ただただお礼と感謝を伝えたくて
昨日の秋田への旅となりました。
そして、この太鼓をプレゼントしたかったんです↓
この桶は、
実は三浦太鼓店に唯一、試作品として残っていた
五十嵐さんが作ってくださった桶太鼓。
それに、この三河仏壇の職人たちが
漆と金箔塗装で仕上げてくれたモノ。
桶はたくさん作って残っていても、
きっと太鼓はないはずだと、
五十嵐さんの功績を残したい、、、
そう思いこれを太鼓にしてプレゼントしてきました。
胴体の中には、
五十嵐さんの証と私の記録が重なります。
分かりますかね~
写真下部に、えんぴつで
三と一のようなマークが書かれてますが
これが、五十嵐さんの証だそうです。
自分が作ったものがちゃんとわかるようにと、
かならず五十嵐さんの桶にはこのマークが入ってます。
職人の魂そのものです。
奥さんにこの太鼓をプレゼントし
とても喜んでいただけたのと同時に
いろんなお話を聞かせてもらいました。
これは、五十嵐さんが20代のころ
はじめて作った桶だそうです。
仏壇のお花が飾られてました。
これは、とても大きなお風呂です。
これは、奥さんの慎重と体系に合わせた
風呂桶だそうです。
介護用の風呂桶で、
身体にあわせて入りやすく安全な作りになっているそうです
いつか、介護が必要になったらと
五十嵐さんが残してくれたそうです。
まだまだ奥さんはいろんな話をしてくれました。
五十嵐さんとの出会いや、
二人で行った最後の北海道旅行の事、、、、
去年私が訪れた次の日から
2週間ほど、夫婦で二人北海道旅行へ行ったそうです。
仕事人間で、
休みなんてまったくない人だったので
その時から奥さんは何か変だと感じていたそうです。
仕事場も見せていただきました。
まだそのままキレイに残されてました。
いつでも仕事ができるようにと
奥さんが五十嵐さんのお写真と、
桶の注文書まで置かれて、、、
なんと、その注文書のトップは
三浦太鼓店からのモノでした、、、、
きっと、天国でも
すばらしい桶を作ってみえるんでしょうね。
病気が悪くなりながらも
体調が少しでも良い時は
最後の最後まで家で仕事の手を休めようとは
しなかったそうです。
そんな、作業場のはしっこに
まだ完成されていない桶の材料がありました。
お母さん、
この材料はもらうことできませんか?
ぼくに完成させてください。
そうお願いすると、
それは主人も喜ぶと思いますと
なんと、いただけることになりました。
それどころか、
三浦さんがはじめられた桶づくり
道具はどうされてますか?
使える道具があれば持っていってくださいと、、、
え!
本当ですか?
嬉しさ半分とまどい半分。
職人にとって道具は命と一緒。
それでも、
五十嵐さんの魂を構成に伝えるために
五十嵐さんと共にこれからも伝え続けたい。
どれだけでも
使えるモノは持って行ってくださいと
お母さんは言ってくださいましたが、
天国にいる五十嵐さんがそれでは
仕事ができなくなってしまうと思い
同じ道具が2つあるモノを
それぞれそのかたわれをいただくことにしました。
いただたい貴重な道具。
一生の宝物です。
五十嵐さんから直接教えてもらう夢は
叶いませんでしたが、
言葉じゃなくっても
たくさんの事を教えていただきましたから
私のもう一人の大切な師匠です。
そして、もう一つお母さんからお話されたのが、、、
実は、もう少し三浦さんと早く出会っていたら
桶づくりを教えてやれたのにな~と
そんなことをポロッと主人は話してましたと、、、
五十嵐さんには私が桶づくりを始めたことは
伝えられずに亡くなられてしまいました。
お仏前にはこんなお写真とメッセージが
“修得した技術を広く役立ててほしい・・・
皆様との出会いに感謝を込めて大空からありがとう”
職人の“技”というモノは、
世の中の人の役に立つ為にあること。
お金儲けのためでも、自分のためでもない、
世の為、人の為にあるということ。
五十嵐さんに最大限の感謝を込めて、
ありがとうを送ります。