2016年3月18日金曜日

太鼓の寿命。

こんにちは、六代目彌市です(^^)/


昨日は、茨城県は小美玉市まで~
三六-SABUROKU-納品に伺ってきました!





いやーーーさすがに遠かった~( ;∀;)


首都高の渋滞もあって

朝6:00に家を出ましたが、茨城まで7時間30分もかかりました~( ;∀;)



それでも、無事納品完了!


これからこの地でまた当店の音が、長きに渡って
みなさんの少しでもお役に立つことができたらうれしいですねーーー(^^♪


さて、

先日紹介しました、160年以上も破れずに使われていた古~い太鼓(^^


みなさんにも大変興味深く見ていただいたので、

今回は、皮ではなく太鼓の命ともいえる“胴”の寿命!


こちらに迫ってみたいとおもいます(^^


さぁ太鼓の歴史や起源は私たちが
想像している以上に古いですが、


現在もなお、受け継がれている古い太鼓!


いったいどれくらい前のモノがあると思いますか?



太鼓は胴の中にその歴史が刻まれています。


なので、皮の張り替え修理の際には

私たちはその太鼓が持つ歴史を垣間見ることができるんですね~


太鼓の歴史を知るという瞬間は、

いつもタイムスリップするようなワクワク感!があります(^^♪


今日は、そんな太鼓たちの歴史に少し迫ってみましょう。



嘉永七年。1854年

尾州名古屋押切とありますが、
名古屋城の西側に当時は太鼓屋さんがありました。

162年前の太鼓です。




寛政三年。1747年。

今から269年前にできた太鼓です。


どんどんいきましょう!



元和六年。

1620年。

今から396年前にできた太鼓です!



続いては、

貞享四年。

1687年。

329年前にできた太鼓です。







元禄元年。1681年

335年前にできた太鼓です。








そして、そして!


これが当店が今までに修理させてもらった

いちばーーん古い太鼓!



地元愛知県は、作手村の白鳥神社に納められている太鼓。


胴の中には約50年ごとに修理された記録が

10回残っておりました。


50年で、10回です。


と、いう事は単純計算でそう500年!




天正五年。

1577年です。


今から約440年前ということになります。


が!


実はこの太鼓は2回目の修理の記録が

この1577年ということしか残っていなかったので


実際は最初の修理はさらにこの50年ほど前と予測し

さらにさらに、実際に作られた年は

最初の修理から50年ほど前と予測するので

500年以上前にできた太鼓と想定されるのです!!



以前もこの太鼓ブログでご紹介させていただきましたが、

あまりに長い年月を越えてきた太鼓なので

表面の乾燥も去ることながら、


真上から見るとこんな感じですよ!!





わかります~??



たまご型というか、かなりいびつなカタチに変形しています!



それでも“現役”ですからね!


太鼓は100年200年当たり前なのですよ!


300年400年、


さらにさらに500年だってみんな“現役”で活躍しています!


どこかの美術館とかで

文化財として保護されてもおかしくないレベルのものが


今なお現役で大活躍している!


これだけ長い歴史を刻んできただけでも

すごいことだと思いますが、


さらにそれが“現役”であるというところに

本当に太鼓のすごさを感じます。



こうなってくると、太鼓に“寿命”なんてないのかもしれません( ;∀;)


今の時代は、モノに溢れ、

何でも手に入る世の中ですが


果たして今私たちの目の前に溢れるモノ達の中で

300年、400年、500年受け継がれるモノっていったい何があるでしょうか?



壊れたから→買い換える。

見た目がボロくなったから→新しいモノを買う。

使って汚れてき、壊れてしまったから→捨ててしまう。




さっきの太鼓みましたよね~



見た目はボロボロ、

カタチもいびつ。



そして500年もの間、歴史を受け継いできた太鼓。



現代の“モノ”とこの太鼓たちとの違いはいったい何だと思いますか?




壊れたら捨てられるモノと

大切に受け継がれるモノの違い。




受け継がれた古い太鼓は私の師匠です。



だから私にはその答えがハッキリと見えてます。



あぁ、こういう太鼓を“音”を作れば

私が作る太鼓も、もしかしたら長きに渡って歴史を受け継いでくれるのかもしれない・・・



本当に大切なモノとは、

本当に大切なコトとは、

本当に失ってはいけないモノとは、

本当に失ってはいけないコトとは、




現代に生きる私たちに、

大切な大切なメッセージを与えていただいています。